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善光寺平は本州を縦断する地溝帯・フォッサマグナの一部。長野県の主要4盆地の一つ、長野盆地のことです。私はこの盆地で生まれ育ちました。
大学が東京だったことで、ふと気がつけば長野で暮らした年月よりも長い時を東京で暮していました。でも、こうしてまた長野に暮らし始めたことで、あらためて、四方を山に囲まれた盆地という地理的環境、あるいは、盆地ゆえに育まれるのであろう風土・文化が、私という個性・人格と深く関係しているということを感じることが多い今日この頃。 私には「東京はあの向こう側にある」というイメージがあります。 自分が育った善光寺あたりから見て南東の方向…菅平高原の根子岳のその向こう側に東京がある…という感じでしょうか。 「あの」は「山」のことであることは言うまでもありませんが、私が抱く心理的感覚としては、これから起こることであろうこと全ては「あの」という「山」の向こう側にあって、その頂きを越えなければ到達できない…という漠然とした感覚が私の心理に深く浸透しているようなのです。 「あの」は、川でも海でも谷でも無くて、私にとっての「あの」は、やはり「山」なんだと思います。考えてみるとそれも当然…山から昇って山に沈む太陽を見て育ったのですから…。善光寺盆地という地理的環境ゆえに育まれる感覚によって私は世界と繋がっているのだと思います。 私は美術…あるいはArtを生き方として選択しています。美術やArtが仕事と呼べるのかどうかは未だ疑問ではあるので、職業を聞かれることに多少の抵抗を感じつつも、これに抵抗する意味も無いので、結局は「美術家です」なんていい加減に答えてしまっています。 まぁともかく、こうしてArtに関わる生き方を選択してしまっている以上、外界の事象(もの・こと・情報)をとらえる「感覚」というフィルターはとても重要で、日々「感覚について考えること」ばかりしています。 Artって何?を説明することは困難ですが、そもそも答えを出すこと自体がナンセンスだとも思います。でも、私たち人間は本来皆「感覚」を持ち合わせているがゆえのArtであることだけは確かとだけは言えるでしょう。 私たちは外界の事象を五感によって感じると同時に、いわゆる第六感と呼ばれる「感性」の働きによって直感的かつ統合的に関係性や意味性を見出すことができます。(心理学的には、感覚と感性は必ずしも同一でしていないようですが…) 「感性」はその大半の過程が無自覚・無意識のうちに起る脳内プロセスである点、理性や知性と大きな違いがあります。 理性や知性は主に、『学習』によって育まれるものであるのに対し、「感性」は、遺伝子と深く関係を持ちながらも、主に成長の過程における『経験』によって、さらにそうした経験と関連しながらも、無自覚・無意識のうちに育まれます。 こうして育まれる「感性」は私たち一人ひとり固有の感覚ですが、全ての人が持っているもの…本来は感性を持たない人など一人もいないはずなのです。 Artは、私たち人間が持ち合わせている固有の感性と感性の授受によって成立します。感性の違いはあって当然。私たちは全て固有の生き物。世界は多様な感性の集合体であることを知ることもまた、Artの役目なのかもしれません。
「田園工房(国立市富士見台)」との関わりについての御報告
『田園工房』については、既にご存じの方もいらっしゃるかとも思います。 この場所についての此処最近の動向について、日頃、プランターコテッジならびにリキトライバルの活動に対しご理解、ご支援下さっている皆様にお伝えする必要があると思いましたので、プランターコテッジBlog、RIKI-TRIBAL・HPにて御報告することに致しました。 プランターコテッジの運営主体であるリキトライバル代表、小池マサヒサは、昨年夏頃より、東京・国立市富士見台において、地域に暮らす人々が、ものづくりができる工房をつくりたい…というオーナー(土地と建物の所有者の方)の想いに賛同し、これに対し協力してまいりました。 この場所の名称「田園工房」はオーナーが決めた名称ですが、私は、田園工房の実現に向けた、様々なアイディアや運営方法の提案・検討をはじめ、今年7月より始まったカフェ事業に於いては、空間のデザインから施工まで、多様な要素に対して自主的に、主体的に関わってまいりました。 この構想に賛同・協力した理由は、場所の立地と広さ。その土地の所有者であるオーナーが「自分でつくる」というきっかけによって人が繋がる場づくりを望んでいたから。 既に10年を経過したプランターコテッジでの試みでは、場所の広さと立地条件によってイメージはできても実現できないいこともたくさんあります。それらの幾つかをここで実現できる可能性があるかもしれない…そう思ったからでした。 私はまず、この構想を進めるにあたり、地域に暮らす人々の声を聞くと同時に、「田園工房が目指すイメージを発信する必要がある…と考えました。 このことについては、長い時間をかけて、オーナーと話してきたつもりでしたが…。 単なるカフェ運営でしたら、東京で、しかも国立市で、この時期の開店は少ないと思います。 しかし、地域の「ものづくり工房」を目指すのであるならば、地域を知る為にも、田園工房を知ってもらうためにも、交流の場づくりは特に重要であると考え、それをするなら早いほうが良いのでは…と考えたのです。 国立市という場所の特性(学校が休みになるなど…)を考えれば、7月、8月という季節の事業運営は厳しいであろうとのことは予想できましたが、この場の今後に対する皆様からの期待の声は大きく、多くの方々が足を運んでくださる状況は、私の想像を上回るものでした。 工房としてチラシ・広告に資金を回す余裕がない状況の中、頼りは人々の口伝てしかありませんでした。そう考えると、オープン以降これまで訪れてくださったその殆どが、人々の声が繋がった結果だったのだと思います。この構想が実現してゆく過程では、多くのヒトやコトやモノが繋がって行くことが十分予想できるスタートであったと思います。 ところが、8月も後半になって、オーナーから突然、このプロジェクトそのものの見直しが必要との意向が伝えられ、これと同時に、早急に田園工房からの全ての私物を撤去してほしいとの要請がありました。 この意向に関してオーナーは私たち(他の関係者にも)には、多くを語ってはいませんが、 「この挑戦は間違いだった。たくさんの人々が関わることで、本来の計画(オーナーが抱いていたイメージ)とは、あまりにもかけ離れたものになってしまった。人と一緒に進めるのは大変…。損失をこれ以上増やさない為には、一刻も早く、今の状況を止め、できる限り早急に生産性を上げる方向性に切り替える必要がある…」と言うような見解をお持ちのようです。 田園工房の今後についても同様に私たちに伝えられてはおりませんが、ご自分たちだけで運営してゆくそうです。 大変残念な見解ではありますが、あくまでも構想の賛同者であった私としては、土地所有者であるオーナーが方向性を修正すると判断する以上、見解に疑問はあろうともこの見解に従う他ありません。 様々な人々の意見を聞きながら判断しなければならないご苦労もあったかとは思います。 ただ、最終的には全てについてオーナー自身が判断し決断した結果であることだけは認識して頂きたいと思っております。 私自身、プランターコテッジの代表として、それは同じです。 今年4月からプランターコテッジの運営方法は大きく変化しました。 私も私の妻もプランターコテッジにいない時間でも、仲間がこの場所を支えてくれています。 これは本当に嬉しいことです。 プランターコテッジの10年間がこの美しく素晴らしいことに繋がっていると思います。 この場に訪れる人々が責任をも分かち合うこと。 こうした場づくりを進めている責任は私にあるのは当然のことだと思います。 9月3日に、工房内にある私の私物は全て運び出しました。 引っ越し作業をお手伝いして頂いた方、本当にありがとうございました。 しばらくの間は、国立市の近くで荷物を保管させて頂けることになりました。 近く、全ての道具や材料を長野市に移す予定です。 田園工房での構想よりは幾分小さな場所ですが、今後は、長野市にて、「自分でつくる」で人々が繋がれる場所づくりを始めるつもりです。 (田園工房カフェのため制作したカウンターキッチンは、オーナーが使用するとのこと。オーナーに譲渡するに至りました) 昨年11月に、「くにたち市子供体験塾支援事業」として開催したWSで制作した、「土の家」と「土の壁」については、オーナーは不要とのことですので、近く責任持って、解体撤去することにいたしました。 もうしばらくの間は田園工房北側エリアで見ることができます。 ※お願い!! この「土の家」と「土の壁」に使用した土は、国立市近郊の残土(赤土)に細かく切り刻んだ藁を混ぜ、子供たちと一緒に足で踏んでつくった貴重な土です。 量にして1立米ほど…。 この土は伝統的な日本家屋の土壁として用いているものと同じ土で、再生使用できる完全な自然素材です。 しかし、残念ながら、私たちは現在、この土を確保・保存しておく場所がありません。現状では、産業廃棄物処理業者さんに残土処理をお願いすることになります。そこで、 この土が欲しい!という方。 この土で壁や家をつくりたい!という方がいらっしゃいましたら、どうかご一報 下さい。 土はもちろん無償で差し上げます。 メール rikitribal@yahoo.co.jp 電話は、090-8505-1280 小池マサヒサ までお願い致します。 7月のカフェオープン時より日替わりカフェマスターをして頂いていた方々も既に全員、退去しています。 皆、それぞれの場でそれぞれの活動を開始しています。 そんな皆さんの近況などは、PlanterCottage Blogでもご紹介させて頂くことにいたします。 これまでこの「場づくり」に関心を寄せ、協力して頂いた方々には、 心よりお礼申し上げます。 リキトライバルは今後、『田園工房』に関わることは一切ございませんが、 ここでの経験を活かし、次の場づくりを開始したいと思います。 もちろん、図書館&ギャラリー・プランターコテッジの活動は継続します。 今後ともどうぞよろしくお願い致します。 2009年9月8日 RIKI-TRIBAL 小池マサヒサ
おそらく、もう少しすると、かなりハードな日々が始まりそうな気配が漂いだした今日この頃。
嵐の前の静けさ・・・というか何というか、 ここ最近はいつにも増して、超・・超スローペース。 まぁ、たまにはいいか、こんな時があっても・・・な~んて、ごまかしてはみるものの、 ほんとうは、このBlogに書く気になる時ってのは、もう既に、“かなりきてる”・・・って時が殆ど。 何がきてるのか?・・・それはわからない。 長野市は小さな地方都市にしてはバンドやってる…っていう人が多いような気がする。 既に、かつてのライブハウスの殆どは無くなってしまったけれど、新しいライブハウスは市内のあちらこちらにたくさんあるようだ。 東京行きの大きなきっかけとなったライブハウスも今は既に無いけれど、そのライブハウスのあった場所がまたライブハウスとなっていることは、なんだかとても嬉しい。 そこを運営している彼らは、自分たち家族が長野市に暮らすことになる一つのきっかけだったと思っているのだけれど、どうも恥ずかしくてそんなことは彼らには言えない。 自分が最初にこのまちに暮らしていた頃?っていうと、もうずいぶんと昔のことだけど、あの時、バンドやってなかったら、東京からやってきたあのバンドに脳天揺さぶられなかっただろうし、東京になんて行ってなかったかもしれないし、美術なんてよくわからないものにも出会わなかったかもしれないし、今のような自分にはなっていなかったかもしれない・・・。 あの頃どう思っていたかなんて、もうよく覚えていない・・・けど、バンドやってたのは音楽が好き・・・なんていう純粋さなんかじゃ無かったということは確か。 10代後半のなんだかよくわからないけど、このままは嫌だ!!・・・っていうような、上手く言い表せない、どうしようもない気持ちの行き場所…ってのが、自分にとってはたまたまRockバンドだっただけだと思う。 あの時、その行き場所が「勉強すること」・・・だったとしてもさほど大きな違いは無かった。 彼女が「一緒に勉強しよう!」なんて言っていたら、きっと勉強することにしていたと思う。 でも、そう言わなかっただけのこと。 暴走族しまくってた友達もいたけれど、あいつだってきっと大して変わらなかったんだと思う。 たまたま自分はあの時、勉強することよりも、暴走することよりも、バンドすることにした・・・。結果、だから今に至るわけだけど、今、この街をこうして歩いていると、もしかすると本当はどれだったとしても、結局は「今」にたどり着いていたような気もするし、でも、それでも、だからこそあの時はRockだった…ってことなのかな・・・とも思う。 なんかもうどうでもよくなってきたので、今回はこのへんでおしまい。
長野へ移住してきてから我が家ではTVの無い生活が続いている。
何も強い信念があってそうしたわけでは無い。 くにたちで住んでいた家には、ケーブルTVアンテナの差し込み口があったのだが、ここ(ボロイ蔵)にはそんなものは当然無い。だからTVを観る為にはアンテナを買って付けるか、もしくは、ケーブルテレビ会社と契約しなきゃならないのだけれど、アンテナ付けるのは面倒だし、契約なんかしたくないし、小学校に行き始めたばかりの娘は夜の8時にもなれば、ぐてんぐてんで、いちゃもんだらけになってしまうものだから、そもそもTVなんて観てる余裕なんて殆ど無い。 さらには、地デジ!地デジ!・・・と指図されることに、かなりむかついているのも後押しして、TVはずっと荷物のまま・・・ほったらかしにしていただけのこと。 (廃棄するのにお金がかかる…って言うのも、未だになんかなぁ・・・って感じ) そんな偶然ではあるけれど、TVを観なくなったのと同じタイミングで家族の生活も確実に変化し始めている気がする。 ・・・。 もっともこの春から、我が家はあまりにも変わったことだらけなので、TVを観なくなったことが一体どれだけ家族にとって影響しいるかわからないけれど、 まぁ・・・、このぶんでゆくと、おそらくこの先も、TVが我が家に登場することは無いと思う。 と言うことで、我が家にはTVは無いけれどラジオはある。 ここ長野市(正確には北信地域一帯)に向けて放送しているコミュニティーFM…「FM善光寺」というローカル局を朝1時間・昼1時間・夕方1時間のローカル向け放送だけ聞くことはわりと多い。 地域情報ツールとしては今後の大きな可能性を感じるものの、今のところはまだ発展途上って感じ。 殆どの時間帯はオリジナル放送は無くて、東京のJ-waveの放送をそのまま放送しているってのが難点。 (どうやらFM善光寺さんはJ-waveが聞ける!ってのも売りの一つのようなのですが・・・) 「今日の東京の天気は雨、夕方からは晴れ間も覗くでしょう・・・」や、「首都高速4号線上り、赤坂トンネル付近は渋滞・・・」な~んて、長野で東京の情報を聞いている・・・って状況の無理矢理感に疑問は増大するばかりは私だけ?・・・かもな・・。 とは言え、こんな地方ローカルコミュニティーFM局を支えているリスナーもたくさんいるってことを、番組中の曲選択から想像できる。 色々と厳しい現実はあるのだろうけど、それはそれ・・・その向こう側にリスナーの存在を感じとれるのはとても嬉しい。 まぁ、若い世代は殆ど聞いていね~んだろうなぁ・・・って感じだけれど、そういった感じがヒシヒシと伝わってくるあたりもGoodだなって思う。 今日はなんと朝からディープパープルが聞こえてきた。 おいおい、いくら何でも朝から飛ばしすぎだぜ!!おじいちゃん!! その後が、ボストンの名曲、More Than A Feeling まぁ、朝なんだからこの曲ぐらいならいいけどね。 ・・・で、ほんとうは久しぶりのBlogの更新(早、5ヶ月ぶりかな・・・) 今日は6月9日 なので、 69な話しでも・・・と思ったりしたのだけれど、早くもこんなに話題がそれてしまった。 なので、今日はここまで。 ![]() http://www.youtube.com/watch?v=IcsVPis1iNs
特別公開ラウンドテーブル:
<コミュニティアートの今~日英の対話から~>に参加してきました。 第一部では、アート・カウンシル・イングランド・イーストミッドランド・チェアの、フランソワ・マタラッソさんによる基調講演。 第二部では、伊地知裕子さん(クリエイティブアート実行委員会)と村田達彦さん(遊工房/西荻まちメディア)からの事例報告 第三部では、コミュニティアートの現状と課題を、フランソワ・マタラッソさん、伊地知裕子さん、村田達彦さん、小林真理さん(東京大学人文社会系研究科文化資源学)和多利浩一さん(青山学院大学総合研究所/ワタリウム美術館)を中心に話し合われました。 主催は、 青山学院大学総合研究所(青山文化研究プロジェクト) 青山学院大学総合文化政策学部(総合文化政策学会) 東京大学(日本学術振興会人文社会科学振興プロジェクト 「都市政策の課題と芸術文化の役割に関する研究」グループ) コーディネータは、鳥越けい子さん(青山学院大学総合文化政策学部) 私にCommunityArt…という意識は全く無いものの、日頃、私が関わりを持って進めている「場づくり」がCommunityArtと呼ばれることが多くあります。 PlanterCottageという場づくりでは、場につくられる記憶とそこに発生する様々な関係性を「コトとしてのArt」として実現することを目指してはいるけれど、多少の違いはあろうが、それもArtだと思ってきました。 確かに、常日頃、Artは変化せざるを得ないと思ってはきたものの、それは単に言葉があれば解決されるとは、もちろん思ってはいません。 今、自分が感じている「変化せざるを得ない」ものとは、Artなのか?CommunityArtなのか?ではなくて、どうやら「それらを分かつ何か…」であるということをとても強く感じつつ、CommunityArtを語るより先に、「Artについて」そして「Community」について真剣に考え、話す必要があるのではないだろうか・・・と思う一日となりました。 Artに惹かれ、今もその可能性を信じ追い求めている私にとって、ArtとCommunityArtとの間に境界線はありませんし、今後もそれは必要ないと思っています。とは言っても、既に社会にはCommunityArtという言葉は存在しているし、今後も、CommunityArtの解釈は変化しつつ、しかし、CommunityArtという言葉がなくなることは当分の間は無いだろうとも思います。 私はなぜCommunityがArtを選択し、CommunityArtという言葉を導き出すことになったのか?については少なからずの興味を持っています。 それがなぜCommunityDesignではなくて、CommunityArtなのか。 ここでArtが選択されていなければ、少なくとも私がここに介在することはもっともっと後になっていた・・・、もしくは、ここに興味を持つことはなかったのかもしれません。 20代の後半のこと…、私には、「Artを生きる術としたい」と想いがあるものの、それに比較して、その想いの背景に必要不可欠な、「なぜ?」「何処で?」が非常に希薄であることに気付きました。 それはちょうど、美術館や画廊といった、いわゆる既存のアートマーケットのあり方に疑問を感じ始めていた頃… 今思うと、考えるまでも無く明確に存在すると思っていた「自分が生きる社会」について、自分は今まで全く考えていなかったことに気が付いたのがその時だったのだと思います。 今、日本のアートマーケットは、未だかつて無い若手重視の時代を迎えています。 多くのギャラリストが大学の卒業制作展に出かけ、有望な人材をスカウトするといった光景があたり前になりつつあります。 もちろん、アーティストを志す若い作家にとって、ありがたい話しですし、結果、作品の完成度は、私が学生だった頃とは比較できないほどにレベルUPしているようにも見えます。 ただし、現在の日本のFineArtを語る上では、村上隆を語ることがあたり前と言われる程に困窮している…というのが現実だと思います。 彼のような作家を目指す若手は少ない・・・という話をよく耳にしますが、はたしてそれは本当なのでしょうか。 美術家を目指す若者は少なくなったとは言え、アートマーケットは依然として健在です。 アートグローバリズムに異議を唱えることもまた自由ですが、アートマーケットは確実に、そして、したたかに進化してきているのです。 村上隆は、そんなアートマーケットの存在を顕にすると同時に、現代美術とはなんなのかを雄弁に語りながら(私には疑問が多いけれど…) 「アートマーケットに於いては話題性こそが価値」…と言うことを言ってのける貴重なアーティストなのです。 アーティストがアートマーケットを視野に入れることは決して間違ってはいません。 村上隆がいなかったら、アーティストを志す者は確実に減少していたことでしょう。 潜在的に彼に学び、さらに彼を越えようとしているアーティストは既にたくさんいると思います。卒業制作が幾らで売れるかを計算しながら、2年後3年後の戦略を練るアーティストが増えれば増えるほど、村上隆の作品はより高額の値で取引されるようになる。 かつてこれほどまで直接的に、Artの純粋無垢さ故の脆さを表現したアーティストはいませんでした。 その意味からすれば、宮島達男が芸術系大学の職に付くことよりもずっとずっと意味のあることだと私は思っています。 ・・・と言いつつも、私は彼(村上)の表現が全く好きではありませんが…。 私は27歳になってから始めてニューヨークに行き、当時のアメリカのArtを目の当たりにしました。そこで印象に残っているのは、二十歳そこそこのアーティストの表現力の幅広さと、堂々たる態度。そして、アートマーケットにデビューするには年齢制限があるという現実でした。 当時と比較すれば、世界のアートを巡る状況に多少の変化はあるものの、表現の多様性は益々重要視され、それと同時に、アートマーケットは、より売れる作品を求める傾向にあります。安く仕入れ高く売る為には、利幅の大きい、若手作家がより重要視される… 当時のNYで聞かれた状況が、ようやく、アジア…おまけとして、日本にも訪れた感があります。 日本であること…。 CommunityArtを巡る様々な課題もまた、日本が培ってきた文化があるからこその歪です。 それは制度しかり。 イギリスのCommunityArtに学ぶことは多いとは思いました。 イギリスにはイギリスのArtがあり、イギリスのCommunityがあるということを聞きながら、 私たちは今、日本においてCommunityArtを確立すべきなのかどうか…ということをずっと 考えていました。 なぜなら、そこのところが最も大きな私の疑問でもあるからです。 「自分が暮らす町」という単位に焦点を合わせてみても、町というCommunityと日本のArtの関係性であるという点においては大差ありません。 多摩の3Kとも表現される一つ…くにたち市というCommunityにおける文化芸術政策のあり方を考え、提案し続けてきた私たちにとっても、「資金が足りない」が前提条件として横たわっています。 限られた予算を如何に配分するか?はもちろん大切なこと。しかし、現行の制度がどうであれ、「やる?やらない?」を、常に自分は問われているのだと思う今日この頃です。 CommunityArtに可能性がある・・・と信じるのであれば、やるしかない。 それができる人がやるしかないのです。 解釈の変化はあれど、おそらく今後も、CommunityArtが不必要になることは無いでしょう。 「資金が足りない…」、全体予算枠に対するパーセンテージからすれば、それは事実ですし、少しでもCommunityArtに可能性を見出そうとしている者からすれば、だから制度によってそれを増やしたい…と考えるのも当然だとは思います。 でも、もう一度よく考えてみる必要性があるのではないか。 CommunityArtは本当に資金を欲しているのかどうか?ということを。 私は、Artには私たちがCommunityにつくってしまった、大きくて深い溝の上に架ける橋となり得る可能性がある・・・と信じています。 とは言え、いくら信じていようにも、資金に縛られているし、事実、様々な活動をする上でその問題はとても大きい。 …でも、それは私がそれをしているから…であって、Artの可能性そのものは、私に資金があろうがなかろうが変わることは無い…。 ようするに、「Artの可能性が大切なのか?」あるいは、「私がそれをすることが大切なのか?」 という答えの先に、資金という壁は現われるのではないだろうか…ということです。 私はこれまで、「無いのなら無いなりに…、有るなら有るなりに・・・」の中でやってきました。 それでもどうにもならないこともあって、今はまだ実現できていないこともたくさんあります。 しかし、無いものは無い…それが事実ならば、「無いからつくるしかない」そうやってもがいていると、不思議なことに、その先に様々なCommunityが見えてくる。 つくるために、Communityと関わって行くうちに、つくろうとしていたものを変化させざるを得ない…。 そうしたモノやコトは、限りなく完成には近づくけれど、いつまでも自分の手から離れず 結果、いつまでも関わり続けることになる・・・。 こんな状態がもうずっと続いています。 …でも、この状態こそが、Communityへと発展するのではないだろうか? そう、思い始めたのは最近です。 CommunityArtとはこういうもの・・・という概念が明確化され、「…あなたのやっていることはCommunityArtですよ」と指摘され、そうしてそこにつくられるものがあるとすれば、それは、「CommunityArt」というコミュニティーぐらいなもの。 日本人は一つのコミュニティーへの所属意識がとても強い。 これは長所でもあり短所でもある… 私自身はもちろん日本人ですし、コミュニティーの不在は自分にとってありえないと思っています。そのコミュニティーの希薄さや、コミュニティーの不在からくる様々な心理的不安感は、精神的障害に直結していることも明らかです。 私が主宰するPlanterCottageでもそれが話題となることはとても多く、不登校や引きこもり、鬱や依存からくる様々な暴力が日常的に存在することをたくさん感じてきました。 だからと言って、私が提示するワークプログラムは、そのような不安感を解決する為のプログラムになるとは考えていません。 精神的不安や肉体的痛みは、想像はできても、変わったり、分けることはできないもの。 痛みや不安は自分だけのものなのです。 痛みや不安が自分だけのものであるならば、Artもまた自分だけのもの。 おそらくそこではArtが何らかの形で関わることができるのかもしれない。 共有することのできない痛みと痛みを繋ぐもの・・・ それもArtの可能性の一つだと私は思います。 私は偶然にもArtという生き方を選択しました。 そして、自分自身はArtに於いてはどこのコミュニティーにも所属してこなかった…、 いや…正確に言えば、ある時から、ArtそのものにとってはCommunityは必要無いもので あり、ArtCommunityは存在しないと思うようになった。だからこそ、その逆にCommunity を強く意識するようになったのかもしれません。 今後どんなにCommunityArtが社会的に認知されようとも、CommunityArtがArtの本質を 含むものだとすればCommunityArtはCommunityArt。 もしCommunityArtがCommunity化した場合、私はそこに所属することは無いと思います。 Communityが連帯や共同体の意味を持つならば、Artは個人的で固有のもの…その意味か らすればCommunityの対極にあるものがArtなのかもしれません。 ようするに、Artの本質は連帯や共同体があれば築かれるということでは無いし、極端な言い方をすれば、人々をCommunityから全て開放する性質を持つものがArtとも言えると思っています。 もちろん、共同制作という製作方法はありますし、その結果として芸術性の高いものがつくられたりすることは多々あります。 しかし、「それがArtであるかどうか?」あくまでも個人的な領域に属すもの。 それを判断できる自由を獲得する力・・・それこそが私たち自身の中にあるArt性なのではないでしょうか。 「私とは私以外の何者でもない私」 あなたと私は異なる存在だけれど、あなたにも「私」があって、私にも「私」がある。 私が私という存在を認めること…、それはArtにとって欠かすことのできないものです。 だからこそCommunityはArtを求め始めているのかもしれない・・・。 そもそもなぜ、CommunityArtなる言葉が必要となるのでしょうか? 私はそれに対する答えとして、 「社会においてArtが独占されてしまっているから」だと考えています。 Artは全ての人々が享受できるものであって、特定の人物やCommunityが占有できるもので はありません。 しかしこれは、人類が長い歴史の中、数え切れないほどの命と引き換えに、つい最近になってようやく得ることができた貴重な財産でるあることを私たちは忘れがちです。 Artの背景には、膨大な遺伝子の蓄積があるのです。 時の権力者は常に人々のArt性を独占しようとしてきた…、言いかえれば、Artは権力によって常に管理されていたということであり、これを独占する者こそが権力を手中にできたということなのかもしれません。 そのArtが、今まさに、独占されつつある…。 CommunityArtという言葉が生まれる背景には、一部によるArtの独占に対する強い危惧 感があるのかもしれません。 少々きな臭い表現ではありますが、CommunityArtの成立にとって「権力」はとても大きな関係があることは確かなことだと思います。 その現われが、いわゆるアーティストではない人々・・・ (…既存の表現者では無い人々、それは=様々なCommunityの住人)が、CommunityArt という言葉を用い始めたということ。 Artは独占されるものでは無いはず、Communityそのものが抱える危機感を脱するために 、Artに可能性を見出そうとしているのではないだろうか? その結果がCommunityArtの出現なのだと思います。 事実、CommunityArtはそれを社会において実現する為に、デザインも、建築も選択しているし、方法としての選択はそれがスポーツでもあっても、科学で有ってもそれは可能なはずなのです。 ダンスや舞踏などの身体表現芸術もスポーツも、「身体」との関係性に於いては限りなく近いところにありながら、スポーツはスポーツであってArtとは捉えられていない。 スポーツ選手がCommunityArtというチャレンジに自分たちが関われるとは思っていない…。 結果として、CommunityArtに必要な人材は常に不足するといった状態になるのは当然の ことだと思います。 ここに必要なのは、どんなCommunityArtか?という内容では無く、「大丈夫…、一緒にやろうよ!」というきっかけづくりだと思います。 ここに於いては、CommunityArtであるかどうかはまったくどうでも良いことだと思います。 今さら言うことではありませんが、やはり『人を育てること』こそが重要。 もちろんそれは、CommunityArtにとってだけではありません。 「人を育てる環境」をないがしろにして、形だけのCommunityの確立だけを急げば、必ずやお金は足りなくなり、結果、「Communityはお金を浪費するもの」になってしまいます。 ある意味、こうしてCommunityは次第に希薄になってきたのだし、それを何とかする為に CommunityはArtを選択しようとしているのであれば、やはり、「Artとは?」そしてCommunityにとって必要なArtを見出す必要性が益々重要になってくると思います。 社会がどう変化しようとも、学校が「人を育てる場」であることは確かです。 しかし、グローバルという波は学校に押しよせ、学生たちをその波から守る防波堤は既に崩壊しつつあるといった状況です。 学校が社会と繋がるきっかけをつくることは非常に大切なことですが、あくまでもそこが「人を育てる場」である以上、決して波にさらわれないように絶対に守ってやる…という覚悟の上に、社会との間に橋を架けるべきなのではないかと私は思っています。 そんな学校が日本には今どれだけあるのでしょうか? 自分がこれから何をしようとしているのか定かではありません。 しかし、「人が育つ為に必要な場づくりがしたい」それだけは間違いないと思っています。 この壁はね…、随分と前にArtってのが好きな人たちがこの街にやってきて、 「Artは皆さんにとって必要なものです。どうしても必要なんです…」 と言ってつくることになったらしいんだ。 街の人たちは、Artってやつがどんなものなのかよくわからなかったのだけれど、壁をつくっている人たちはみんなArtってのを良~く知っている人たちで、街の人たちはその人たちから、 「この壁が完成すればね、ここには素晴らしいArtが世界中から集まってくるんですよ。」 と聞かされていたものだから、壁がどんどん厚く、高くなってゆけばゆくほどに、 「きっとここにものすごいArtがやってくるに違いない…そしたら他の街からも、たくさん人がやって来て、街はとっても有名になる」 …って話しながら、壁ができるのを楽しみにしていたんだってさ。 でもね、その壁がどんどん厚く…高くなってゆくのを見ているうちに、それが何のためのものかみんな忘れちゃっった・・・。 この壁が完成さえすれば、何かすごいものがやってくるってことだけは覚えていたらしいけど、まさか、こんなに分厚くて高い壁になるとは思ってはいなかった・・・って魚屋のゲンさんが言ってた。 そうそう、その壁に囲まれたところは今じゃ「美術界」って呼ばれてる。 どうして…? この街の中には同じような大きくて高~い壁に囲まれた場所がたくさんあるからだと思うよ。 僕にはよくわからないけど、街の人が壁の中に何があるのかわかるように、壁にはみんな名前が付けられているんだ。 …Artっていうのは英語だから、それを日本語にすると美術って言うんだって。 だからArtと美術は同じなんだ…って学校の先生が言ってた。 あっ…そうそう、美術界の中にあるArtってのを見たい時は、壁に開いた狭い入り口でお金を払えば見ることができるんだよ。 入り口には「美術館」って看板があるからすぐわかる。 美術館には素晴らしいArtってやつがあるらしいんだけど、それってみんな、すご~く高いんだってさ。 だから、それを見るには僕のお小遣いの半分がなくなっちゃうんだ。…だから僕はまだ見たことない…。 僕の友達もまだみんな見たことないよ。 大人になって、たくさんお給料をもらうようになったら一度ぐらいは見に行ってもいいかな…。 僕のお母さんは、僕が生まれる前にお父さんと一緒に1回だけ見に行ったことがあるんだって。 お母さんは「Artは子供が見るようなものじゃない」…って言ってた。 どうして?って聞いたらさ、 「子供が見たってまだ何もわからないから」…だって。 ま、僕はまだ子供だからArtなんて興味無いけどね。
いつからか、今年の残りの日を数え始めるこの時期が嫌いになった。
一直線上に並ばされて止めようの無いカウントダウンを数えさせられるようで…。 あらかじめ決められた期日に向って歩調を合わせることが協調。本心はどうであれ、期日に向って切磋琢磨、努力している姿勢を外側に向って示すことで協調性は示される。12月ともなれば、来年のスケジュール帳を眺めながら自己の協調性を高めつつ、今年残された日数を指折り数えながら、終わりよければ全て良し…と呪文を繰り返すのが健全な社会人というものなのかもしれない。 それにひきかえ動きを止めると呼吸ができなくなる得意体質の自分にとってこの時期は、いつにも増して動きは加速され、結果、過呼吸状態を誘発する。 この状態は協調では無く暴走状態なわけで、ふと気が付けば自分の周りには誰も着いて来ていない…にもなりかねない。…これは病気だ。 こうなった時の孤立感たるや結構つらいものがある。 だからこの時期はやっぱり好きじゃない。 今年のスケジュール帳の空白の日数の多さは、期日に協調できなかった…あるいは、スケジュールなんて書く余裕も無いほどの貧乏暇無しだったことを物語っている。 そんな私が来年のスケジュール帳を持ったとしても…。 スケジュール帳に記入しなければならないほどのスケジュールは自分の中のなんらかの限界を超えているということを知る手がかりとしては興味が持てる。自分の中のある部分の限界。 基本的に体育会系思考なので「限界」には興味があるけれど、「スケジュール帳に記入しなければならないほどのスケジュール」は、脳が何らかの意味で限界に達している…ということ…それは、「私の脳はスケジュールに協調する気が無い」ということ…。 こういうのも何なのだが、体育会系でありながらも人一倍ナチュラル思考の強い私としては、「自己の精神を蝕むほどの負荷を持って限界を超えてはいけない」と思っている。 ようするに、『その気が無い…』という状態で人が動くとどこかに何かしらの歪みが生じるということ。 「俺はもう覚えたくない!」という脳内シナプスの連鎖運動を抑え込んでまで協調するためには、何らかの強行策が必要になる。 もちろん、全ての人にとって、スケジュール管理が自己の精神を蝕むほどの負荷を持って限界を超えるものとは思っていないが、私の場合、そもそもスケジュール帳を見るというスケジュールを自分では管理できないのだから、たまに気が向いてスケジュールだけが記入されてもほとんど意味をなさないし、なにより、スケジュール帳とは言え、管理されている感覚をそこに感じてしまう傾向のある私にとってのそれは精神的にかなりの負荷がかかるということなのだ。 ・・・ということで続きはまた。
やっぱり、雨は嫌いだ・・・と、再確認する長雨が終わり、季節はようやく秋になった模様。
このところは、ずっと屋外の(屋上の・・・)現場仕事なので、雨が降るとガックリ。 雨は制作意欲を奪うし、特に、この季節の合羽は暑いので、できれば着たくないし、とにかく精神的にとてもよくないことだらけ。 ・・・なので、今日の晴れは、やっと頂上に辿り着いた時のような格別な嬉しさがあった。
”くにたちアートプロジェクト”がようやく動き出した。
…。 とは言っても、ドンパチと花火が上がるわけじゃない。 どちらかというと、長い導火線にようやく火をつけることができた・・・に近いかな。 その先には、線香花火ぐらいのやつが、ものすごくたくさんある…って感じ。 くにたちアートプロジェクトのBlog http://kapweb.exblog.jp/ 公式内容は既にあちらこちらにばら撒いているし、Blogもあるので、ここではそんな話しはもうやめとこう。 そろそろ、説明するのも面倒くさくなってきたし、ここまで来るのに思いのほか時間がかかったので、いい加減もう次のことがしたい。 どうも自分の頭の構造は、根っからの鮫体質らしく、いつも何かを考えていないと脳が呼吸できないのか、酸欠ぎみになって頭がぼ~っとしてくる。 そうすると、体なんて当然動かないわけで、たいして食っちゃいないのに体重が増える。 おそらくこの世の中に五万?…ごまんといる美術屋の中でも、類まれな体育会系だと自認している自分だけれど、健康管理の為に走ったりすることは絶対にしないと、おばあちゃんに誓っているので、岩を登らなくなってしまった今となっては、考え続ける方が良いということなのだ。 何を言っているのかよくわからなくなってしまったけれど…。 先週、くにたちアートプロジェクト アートリテラシーワークショップを開催した。 5人が参加、人数的にはちょうど良かった。 そもそもくにたちの貴重な文化って何?そんなの本当はないんじゃない?なんて、かなり危険な話題にもふれながら、有意義なVol.0となった。 次回は、6月20日(金)19時~21時 前回の反省…21時からはみんなで食事にしましょうね。 ・・・なんと、私はその前日から大阪の現場に行くことになってしまったので、20日は大阪からかけつけることになりそう。 そんでワークショップが終わったらまた大阪へ逆戻りです。 まぁ、そんなことはさておき… 次回のアートリテラシーWSの内容をあれこれ考えているのだけれど、そもそもこのWSでは、地域の文化的資源、地域特有の芸術文化を活かしつつ、地域に根ざしたこれからの地域文化を築くことのできる人材…地域文化リーダーを育成する・・・という、なんとまぁ、壮大な構想のもとにある。 それができるかどうかはやってみなきゃわからない…まぁ、そればかりは考えてもどうにもならないし、とにかく自分を見せまくってそれを餌として勝手に育ってもらうしか方法が思いつかない。 自分の「今」は、その先を生きてきた、先人たちとの出会いによってつくられてきた。 詩人ゲーリースナイダーはその一人。 自分が彼の思考性にのめり込むきっかけになったのは、「場の感覚 Sense of the place」 彼の詩の中にある「場の感覚」 場の感覚を持つためには「再定住」という生き方を語る。 「惑星間空間での運命とのランデブーが人類を待ち受けていると予言した人たちもいる。なるほどそれはそうかもしれないー。しかし、我々はすでに宇宙空間を旅しているのである。まさに、ここが、銀河系なのだから。何千年にもわたって、自らの知識と体験で直接に自分の内と外、宇宙を観察した者たちの持つ知恵と技術を我々は「オールド・ウェイー古い道」と呼ぼう。将来にわたってこのようなことを学び続け、人間が太陽と緑で生きる地球を想像する者は、あらゆる科学、想像力、政治的技巧を用いて定住する人々ー世界の先住民や農民ーを支持する以外選択は残されていない。彼らと共同戦線を張りながら、我々は「リインハビトリー=再定住者」になるのである。それから、我々は「オールド・ウェイー古い道」を少しづつ学び始める。それは、歴史の外にあるもの、永遠に新しいものなのである。」 (P240)「惑星の未来を想像する者たちへ」(山と渓谷社 2000年)ゲーリー・スナイダー著 山里勝巳訳 地域の文化的資源、地域特有の芸術文化を活かす…、 それはおそらく「リインハビトリー=再定住者」として生き方ではないだろうか。 「今」、ここで生きているという事実がある。 「生」はここにあるにもかかわらず、私達は「今」、「ここ」に気づかない…、いや、知らないふりをしながら、「今」、「ここ」と切り離された世界で生きようとしている。 抽象的で曖昧な文化論だけを語り、どこかで誰かが付けた価値観に囲まれながら・・・。 なぜ、私たちはそうしなければ生きられないと思っているのだろうか。 ということで、だんだん決まってきました。 次回WSでは、「今」そして「ここ」について考えることにいたしましょう。 タイトルは、『reinhabitation』 再定住 ~ 「今・ここ」 の感覚 です。 参考資料は追ってお知らせすることにします。
立川市内にある、市民活動サポートセンター・アンティ多摩 が運営する、ミニコミ広場での「市民活動おはなし箱」で、おはなししてきました。
私たちはArtをどう使えるのか?について。 今月末から始まる、「くにたちアートプロジェクト、アートリテラシーワークショップ」のダイジェストといった感じだったかもしれません。ちなみに、このワークショップはほぼ毎月1回、月末の金曜日かその前後あたりで開催されます。 第1回目は5月30日金曜日 19時~21時 場所は、プランターコテッジ。 ファシリテーターは、RIKI-TRIBAL 小池マサヒサ これについての詳細は次にします。 ということで、「市民活動おはなし箱」で配布した資料を公開します。 あくまでも、話すための補足として用意したものですので、ちょっとわかり難いかもしれません。実際はここには書いていないこともたくさん喋りました。なので、そのまま載せるだけじゃあまりにも芸がないと思いましたので、今回は「もうちょっと言わせろ!」を赤ペンで入れてみました。 では、どうぞ。 =============================================== Artあるまち ~私たちはArtをどう使えるか?~ どう使えるか?って疑問は、どう使うか?とはかなり違う。どう使えるのか?いろんな人に俺は聞いてみたい・・・ってこと。 1: Artはどこにある?誰のもの? 美術で食べてゆくのは難しい…は、現代社会において周知の事実であるにも関わらず、社会の中には美術市場が存在しているし、美術館や画廊を始め、美術関連産業はそれなりの業績を上げているのもまた事実です。 儲けちゃいけない…なんて思っちゃいないけど、その前にやることはやって欲しいな…やっぱりさぁ。 文科省の社会調査によると、平成17年度の時点での美術館数は1087。平成14年の調査と比べると49館の増加です。 これら美術館の建設には巨額の資金が必要であることはもちろん、開館すれば、そこで働く人は、給料をもらって働く。展示作品を美術館に運ぶ運送屋さんには運送費を支払わなければならない。展覧会を見るために入館料を支払う。作品をつくるためには、材料や道具を買う必要もある。美術館の周辺だけで考えても、お金はぐるぐるとめぐっているのは見えるものの、いくら美術館が増えようが、美術で食べてゆくのは難しいという事実は一向に変わる気配はありません。 美術館建設反対!!とか言うつもりはない。 反対の意思を表明することは無駄じゃないけれど・・・なにもこの時代に美術館なんてさぁ…創造力なさすぎなんだよ。だから、創造性ってこういうもんだよ…って見せるしかないと俺は思うんだけどね。 前に聞いたんだけど、建築家としていつか設計してみたいと思う建物は…学校、病院、美術館って答えが多いらしい・・・なんか、どれも同じ匂いがするんだけど、どうなの建築家さん。 現在の美術をとりまく社会(美術館が上位に位置する社会構造)は、「芸術に所得格差はあってあたりまえ」という原則と、「誰もつくって欲しいと頼んでいない」という不可解な論理に覆い尽くされていると私は感じています。 これこそがファッショだと俺は思っているんだけど・・・ そうだとしてもまだここでつくリ続けるつもり? …これほどまでに屈辱的な状態の中で、つくる必要性なんて俺には見つけられない・・・ けれど、そこではつくりたくない・・って言いたいだけで、やめるってことじゃない。その逆だよ。絶対にやめてやらない!! 美術作品に対する途方もない値がつくことに多少の疑問はあれども、基本的には、作品という主観性に対しての主観的価値観による関係性そのものが芸術とも考えられるので、その意味からすれば、そこに所得の格差が生じてもそれは仕方ないかもしれない。 しかし、「誰もつくって欲しいと頼んでいない」 別の言い方をすれば、「頼んでもいないのに、あなたが勝手につくったのだから…」 という論理によって、美術が食えないものとして我慢させさられてしまうことには納得はできません。 ようするにこの論理は、「あなた(美術作家だと自称する人)は自分がつくりたいからつくっているだけあって、それだけでは(展示しただけの状態では)、第三者にそれが求められているという事実も根拠もない…。つくられただけの状態に価値はないのだから、作品をつくることで食えないのは当然」 ということなのです。そのいっぽうには美術マーケットがあり、美術館はさらに増え続けているというのに。 今、美術はどこにあり、それは誰が使っているのでしょう。 なぜ、こうまでに、Artを使えるのか?…にこだわるのかって? そりゃあ・・これが、美術のまわりだけの話しじゃないからにきまってんだろ! ぼうっとしてると、根こそぎやられちまうんだぞ。 いい加減、少しは自分の周り見てみようよ。ほら、もうそこまで来てるんだよ。 <参考>古代ローマでは、技術(アルス ars)は、自由人の諸技術(アルテース・リーベラーレース artes liberales)と手の技である機械的技術(アルテース・メーカニカエ artes mechanicae)に区別された。前者を英語に訳したものがリベラル・アーツ(原義は「人を自由にする学問」) 日本においては明治初頭 リベラル・アートの訳語として造語され、英語のファインアート(fine arts)の訳語として採用されたのが「芸術」 ・ファインアートのうち視覚芸術に限定して使われるようになったのが「美術」 ・これからはみだした、詩、音楽、演劇なども含むファインアートに相当する日本語としては「芸術」 2:私と社会の間…あるいは隙間 人が、「つくりたい」という衝動にかられ、自らの意思を持ってつくり始めること。これが美術への始まりだとすれば、この始まりの中には明確な「私」という存在を見ることができます。明確な「私」という存在があって、その「私」の中のどこかで何らかの衝動が沸き起こるからこそ、「私」は次へ繋がり、やがてその繋がりの連鎖は「社会」へと至ります。だとすれば、「私」であることこそが社会の原点そのものと考えることができるはずです。社会が「私」の集合体であるならば、「つくりたい」という衝動を持つ「私」と、「見たい」という衝動を持つ「私」の間には、ほんのわずかな衝動の違いしかありません。そもそも、「つくりたい」「見たい」という衝動は、どちらかが優れていると比較できるものではありませんし、その衝動が起こる「私」はどちらも「私」であって、そこでも価値の相違はありません。 どちらの「私」にも何らかの沸き起こる衝動があることで、やがて「私」の存在が社会へと至る…ただそれだけのこと。 その「私」と「社会」の間にあって、この二つを繋ぐもの。美術に価値があるならば唯一の価値はそこにあるのかもしれません。 そうした存在が美術であるとするならば、私は「繋ぐものとしての美術」にこだわりたいと思っています。 なんかちょっと、照れるけど、かなり本気ってことで。 そう言えばさぁ、45歳からは高齢者なんだってさ。それ聞いた時、ここまで来たんだからもっと遊んでやる!…って思った。 3:場の重要性・モノの重要性 美術館や画廊などで収集・展示できる表現とは・・・それを別の言い方にすると、どこにでも持ち運び可能な表現ということができます。かつて美術(「美」そのもの)は建築や空間…「人の生活の場である日常」と一体となって成立していました。しかし、場が無くとも成立できる美術…持ち運び可能な美術が生まれることによって美術のあり方は一変し、場があることの重要性と一体を成した美術は、モノであることの重要性をもたらすものとしての美術へと変化したと考えることができます。 美術が日常から切り離された持ち運び可能な表現であることによって、美術はモノとしての価値を持ち得、結果、美術の売買は容易になりました。どこでつくられていようとも、誰がつくったのかがわからなくとも、社会が如何に変化しようとも、美術品として美術館に収集・展示されることによって、単なるモノは美術という価値を持ったモノへと変容するのです。 そのいっぽう、日常的な場で成立する美術や美の使いこなしは美術的価値の無いものであり、それを劣ったもの、素人臭いもの、価値のついていないものと考えるようになったことで、美術を使いこなす力は一部の専門家の特殊能力となっていったと考えられます。 これを思いついた奴って、とてつもない奴だと思う。 美術をモノとして考えるということは、世の中全てのものに価値をつけることは可能だということなんだ。体育会の先輩から、「小池、これで買ってこい!」って言って渡された、きったねぇ字でいちまんえんって書いてある紙きれが、美術館で展示されさえすれば、本当に¥10,000で売れたりするってこと。もちろん時間はかかるけどね。 でも、そんな力が、そこには本当にあるってこと。 その為には、美術がモノでなくてはいけない。持ち運びできなくちゃね。 4:図書館&ギャラリー プランターコテッジ(PlanterCottage) 1999年3月から現在まで。築35年以上(当時)の、老朽化した木造の平屋借家住宅で行なっているアートプロジェクト。 「私」という主観によって設定された空間である「モノとしてのArt」を、そこに訪れることのできる全ての存在が、使うことでつくられる記憶とそこに発生する様々な関係性が「コトとしてのArt」として実現することを通じて、Artや「美」そのものをコミュニケーションの手段として変換する為の場づくり。 ・異なる目的性を持ち込むことによって行なわれる、ワーク・イン・プログレス(日々手が加えられて変化するものや出来事) ・「モノ」と「コト」が繋がることによって生まれる有機的な存在としてのArt ・完成の概念を持つ必要のない、時間軸の中に存在するArt ・常に「場」との関係性の上で築かれる、移動不可能なArt 文字にするとなんかものすごいことが行なわれてるところみたいな感じ。 いくら俺がこんなに真剣に色々と考えていても、ここに来る人の殆どは、「へぇ…そうだったんだ」で終わり。別にかまいませんけどね…それで。そうじゃなくっちゃ、住宅のど真ん中にある意味もないというもの。でも・・たまに、「これが美術だとすれば、美術も意外と使えるかもね」って言われたりすると、そりゃあもう・・・トイレに行って泣いてたりするんですから。 美術大学在学中から、美術の中でも特に馴染み難いと思われがちな現代美術というジャンルに関わってきました。しかし、美術館や画廊を中心とした発表活動をとおして美術に近づけば近づくほど、自分とそこにある美術の間には大きなずれが生じていると感じるようになってきていた私は、あるときから、美術は難しいもの、日常では使えないもの、専門的に学んだ人にしか理解できないものという意識が大きくなればなるほど、結果的に、美術に精通する専門家(内側)が、美術の価値を知らない、無知な大衆(外側)を教え導くというかたちのコミュニケーション=ヒエラルキーは増大すると考えるようになったと思います。 しかし、たとえそれがどんな美術であったとしても、それを使うことができて、それによってつくられる記憶そのものに価値があるとするならば、記憶が生まれるあちこちで価値が創造され、その価値と価値、記憶と記憶が繋がることによって、ヒエラルキーとは異なる対等で有機的な関係性が築かれるのではないか・・・、その始まりとなる美術を自分の暮らしがある日常の中にそっと置いてみることから始めたのがプランターコテッジです。そして、なによりも、有機的な関係性をつくる為には、多くの人が美術を使いこなす力を持つことこそが重要です。 美術は難しいもの、日常では使えないもの、専門的に学んだ人にしか理解できないものという意識を打ち破り、内側と外側をフラットにするもの。美術を軽く捉え、嫌いなものは嫌いと言ってかまわない。美術を日常で楽しく使うことの中に「美術を使いこなす力」は潜んでいます。プランターコテッジに築かれる記憶、ここに生まれる関係性を全て「コトとしてのArt」として実現する。そうすることによって美術が自由へと到達できる手段となれると私は思っています。 「自由」ってさぁ、自由って言ったとたん、自由じゃなくなる感じがするよね。 でもね、もう俺も高齢者だからさぁ、そろそろ「自由」って言っても自由なままでいられないかな?な~んて思ったりする今日この頃。 フランスの国旗ってやっぱいいなぁ…って思う。「自由」・「平等」・「友愛」 言い続けないと、こっちにやってこないものって、きっとあるんだろうな。 5:美術を学問の枠組みから解放する 現代に生きる人々にとって美術を価値あるものにするためには…。つくり続けたいと思う人々がつくり続けるためには、今ある「美術」という枠組み自体を根底から壊す必要性を感じ続けてきました。その為には、美術を学問の枠組みから解放し、私たちが生活する日常へと美術を取り戻すこと…。学問的に優れたモノとしての美術をつくりだすことよりも、より対等で有機的な価値ある関係性をいかに生み出すかがポイントです。美術館に展示・収集されるような完成度の高い優れたモノをつくるのではなく、それがたとえ、「今」 ここでしか成立しない一時的な出来事であったとしても、それに関わる全ての人々の中にそれとの関係性が記憶となって残ること。その記憶を網の目のように繋げることで、美術は解放され、学問は手段へと変化できると思います。 この文字列って、すごいインパクトだ。 学問+枠組み+解放・・・こりゃぁやばいよ。こんな文字を繋げたら捕まっちゃうって。 ビラにして配ったら絶対やばいな… ・・・でも、ちょっと面白いかも 6:Artを学問の枠組みから解放する過程での願い ・Art表現を社会の中に解き放つためのしたたかな行動力とそれを受け入れる場が常に連携することによって実現されること。 ・関わる人々が互いに交流できる場の設定(どこであるのか。誰がいるのか)が重要。 →場としてのArtの必要性 ・関わる人が主体であることが常に意識されること。 →作品がモノとして存在できるかどうかはどうでもよいArtの必要性 ・ネットワーク(関係性)がArtを中心とした多元性を持って展開・形成されること。 →コトとしてのArtの必要性 ・表現の大小は問わず、Art表現が社会のいたるところで、同時多発的に起こること。 → 移動不可能なArt の必要性 ・必ずしも表現者を特定する必要性は無い。 →所有されないArtの必要性 ・年齢、性別、職業、経験等一切を問わない。 →優れているかどうかはどうでもよいArtの必要性 大体、ここまで一気に読める人っているのかなぁ? もしいるとしたら、世の中も捨てたものじゃないな。確かめられないのが残念だ。 結局のところ、美大を通過したからこそ、ここに至っているのは勿論だし、そこでの経験は私にとって大切な記憶だけれど、そんな自分がこういうのも何なんですが、それでもやはり、美術が学問であることは変だと思うのです。 美術なんて教わるものじゃない。 美術なんてまちのあちこちにあった方がいいに決まってる。 つくりたい奴が勝手につくって何が悪い?本当は教えたくも無い奴らから教えられるよりはずっといい。 6:インターネットネットワークに学ぶ インターネットネットワークでは、すべての人は発信者であるとともに受信者でもあります。そこに中心となる存在は無く、どこからでも、どこへでも繋がることができるフラットな関係性と考えることができます。この関係性を原則に、発信者と受信者はネットワークサーバーを介すことによって情報を共有することができるのです。 「美術が日常の出来事としてあたりまえに存在し、まちに暮らす全ての人が美術や「美」そのものを使いこなすようになる」…、そこにつくられる「Artあるまち」とは、インターネット型のネットワークを社会的に実現させたイメージに近いと思います。 もちろん、こうしたネットワーク型の社会体系が全てにおいて有効であるかどうかは疑問ですが、少なくとも、現在の美術をとりまく社会状況を見直し、自発性・自主性を持った人々の繋がりをとおしてたくさんの価値が育まれると同時に、創造性ある関係性そのものが価値として、日常社会の中に見えるようになること…それによって、「全ての人が美術や「美」そのものを使いこなすようになること」を目的とするならば、啓蒙的・トップダウン的なヒエラルキー構造よりは、多元的でフラットなネットワーク型であるほうが、より目的実現の可能性は大きいということです。 こうしたネットワークを社会的に実現する上で重要な存在は、発信者、受信者、そしてネットワークサーバーの3つ。 インターネットネットワークと現実社会のネットワークを考える時、このネットワーク上での大きな違いがあるとすれば、ネットワークサーバーの部分です。発信者・受信者は、つくる人・見る人。これらの位置を担える人、それを望む人は既に社会には大勢います。 本来的には、ネットワークを維持することがネットワークサーバーの役目ですが、まずは、有機的(多元的)なネットワークの必要性・可能性を促しつつ、このネットワークの発信者や受信者となる人々を繋ぎつつ、フラットな関係性を持ったネットワークを具体的に実現しなければならないことが、最も大きな違いと言えるでしょう。 隙間にあるもの。その隙間とその隙間がもたらすこと。 発信者と受信者を繋ぐものとは、接着剤みたいなもの。 着けたいときにはがっちりと、でも剥がすことも簡単ってのがいいかな。
先日、私は残念ながら行くことができなかったのだが、作家、辺見庸氏の講演会…「死刑と日常」--闇の声あるいは想像の射程について…があった。講演会に行った知人によると、辺見氏は講演の中で、「今、日本は世間という名のファシズムに覆われている…」と語っていたという。
日常会話の中に登場する誰もが知っている「世間」…しかし、それが本当は何であるのかをきちんと答えることは非常に難しい。確実に言えることは「世間」は「社会」とは違うということぐらいだろうか…。社会が尊厳を持った個人の集合体であるとすれば、そもそも世間には個人の尊厳は不在であり、それは個人の意思によってつくられるものではない。世間とは思考の働きに先立ち意識に直接与えられているような、そこに既にあるものに近く、日常の人間関係そのものを示してはいるものの、人の関係性という実に曖昧なものの上に成立しているような気がする。 本来、社会性が保たれるためには個人の尊厳は欠かすことはできないはずなのだが、日本の個人に対する意識もまた曖昧な世間との関係性の中で形成されるために曖昧である以上、日本人がつくる社会の中に個人の尊厳が入り込む余地は殆ど無いのかもしれない…と思ったりもする。 辺見氏は、今の日本の状況を最も明確に示す言葉として世間とファシズムをイコールで結びつけた。世間とは何か?ファシズムとは何か?それを言葉として理解するよりも早く…私たちは感覚として理解できるはずだ。もしもそれができないとしたら…、既に私たちの感覚はファシズムによって麻痺し始めているのかもしれない。 私が暮らす国立市は、武蔵野台地の特徴的な河岸段丘の一つである、立川段丘の周辺に発展した集落の姿と、今から約100年前に行なわれた都市計画によってつくられた街並みという対照的な二つの側面から成る街である。 人口7万数千人。自転車でも1時間そこそこもあれば周囲を一周できるほどの大きさゆえに、この街に暮らす人々にとって「私の街」という感覚は抱きやすい。 通っていた大学が国立市から近かっただけの理由でこの街に住み着いて既に25年近く。 既に自分が生まれ育った地よりも長く暮らし続けている「くにたち」は私の街だと感じてもいる。 しかし、私はこの街に暮らしながら長い間、言葉にはならない違和感のようなものを常に感じてきた。その違和感が気のせいでは無く、ここには確実にあると感じるようになったのは、私がPlanterCottageという場所を持って数年たった頃からだったと思う。 その違和感を最近ますます強く、大きく感じるようになった。 それは目には見えない、でも確実にこの街はそれに覆われているような気がしてならない。 それがあると息苦しいような…。それでいて、それが無ければ何か大変なことになるような…。 私にとってアートは社会との接点として有効な手立てではあるが、それと同時に、世間で生きる為の方法からは縁遠いところにあるものだとも感じている。 アートは社会という目には見えないものを見るために有効な手立てとなるものだが、それによって見えてくるものは、必ずしも自分が見たいと望んでいたものばかりとは限らない。アートには意識と無意識を同時に開放することによって自分を…、社会を、照らし出すことしかできない。だから見たいものだけを見て、見たくないものには蓋をするようなことはできないのだ。 私が「くにたち」という街に感じる違和感は、そんなアートが存在できない空気感のようなものに近い。そんな空気のようなものがしっかりとこの街を覆っているような気がしてならない。 その内側にある街が、“くにたち”という世間なのではないだろうかと…。 そしてなにより、その覆っているものこそが「くにたちの文化」のようなもの…な気がするのは私だけの気のせいなのだろうか。 元SO-ZO国立2007実行委員会副委員長 (委員会は解散) 現代美術家 RIKI-TRIBAL代表 小池雅久 ある地点から「まちの将来像」を見据え、想像することはとても大切なことですが、そのイメージ(想像)をクリエイト(創造)してゆく過程では、時代の変化に対して敏感に反応するための まちとしての感性 が重要です。 感性とは本来、全ての人が生まれながらにして持っているものですが、曖昧で確証のもちづらい「感性」は、成長の過程を通じて得る方法や経験、様々な情報の影に隠れがちです。 しかし、ほんとうに自分にとって大切かどうかを判断する最後の鍵は、やはり自分の感性によるところが非常に大きく、私たちに自発性・自主性をもたらす原動力はまさにこの「感性」の部分です。 「まちとしての感性」は、そうした自発性・自主性をもった市民によって築かれるものです。 私たち自身が成長の過程で得た経験や情報に対して「感性」が機能しない時、それら経験や情報は、既成概念となって私たち自身を苦しめます。逆に「感性」が機能することによって、それらは私たちにとって最も有効な道しるべとなるはずです。 アートをはじめ文化・芸術は、人間の成長にとって大切な「感性」に蓋をせず、「自分であること」に気づかせてくれることを通して自発性・自主性を育てる役目を担います。 くにたちというまちが、「文化が香るまち」 「多文化共生社会の実現」 の実現を目指す理由もここになければならないはずです。そうして築かれる くにたちらしさを持った文化・芸術は、くにたちの将来像を実現するための様々な施策を横断し、「様々な人・こと・もの」を繋ぐ ことができるようになると同時に、ここで育まれる文化・芸術は、国立市に暮らす人々に限らず、社会にとって無くてはならないものへと変化することができるのではないでしょうか。 さて今後、文化芸術を「くにたち」というまちが使う ためには、文化芸術の可能性と役割を問い続けながら、さらに、多方向から「くにたちの文化・芸術」をつくって行く必要性があると考えています。 私たちはその一つの方向性として昨年、「SO-ZO国立2007 くにたち秋の芸術祭」を行い、結果、今年2008年もSO-ZO国立は継続することまでが決定しています。これも一つの方向性です。 Q : SO-ZO国立って何?…と聞かれることが良くあります。 A : SO-ZO国立とはイベントやフェスティバルの開催を目的としていません。 SO-ZO国立は、市民が市民の手で、文化・芸術を使ってまちづくりをしてゆくこと 全部を示します。 その為には、文化芸術とはいったい何なのかということを、市民みんなが共に考え、実行してゆく必要性があります。その歩みそのものを私たちはSO-ZO国立と位置づけています。 SO-ZO国立は言ってみれば、国立市というまちの側から、くにたちの文化・芸術について考え、つくり出す方向性を持っています。 この方向性では、国立市の文化・芸術を担う存在である、くにたち文化・スポーツ振興財団の今後のあり方がとても重要です。 長い間、国立市の文化芸術を担いリードしてきたのは全てこの くにたち文化・スポーツ振興財団 です。これまでの経験を存分に活かし、今後ますます変化するであろう社会状況に即した文化・芸術の振興と育成を 是非とも くにたち から始めて頂きたい。 くにたち にはそれができるだけの潜在的なリソースが満ち溢れていると同時に、それを実現するに適したちょうど良い大きさがあることを私たちは知っています。 「文化芸術をまちが使う」 これを くにたちで実現することが十分可能だと私は思っています。 ■次にこの街に暮らす市民の側から、「文化・芸術を使う」 方向性について。 国立市に暮らす人に限らず、とかく文化・芸術は、私たちの暮らしから遠いイメージを持っています。 その理由は様々ですが、一つの理由として、つくる側と見る側の間に文化・芸術が置かれていることが考えられます。これは言い換えると、文化・芸術が人と人を分かつものになっている ということです。 もちろん、長い間練習してきた成果を見せたり、優れた感性や技を見ることを通じて、人と人が認め合い、繋がりをもたらす可能性はとても大きく、この可能性はさらに育んでゆかなければなりません。 しかし、つくる側の人も、それを見る側の人も、その反対側には、私の方向を向いている人がいることを無視することはできません。文化・芸術をまちが使うためには、私たちが求めている文化芸術とは、人と人を分かつもの では無く、人と人を繋ぐものであることを知りことが必要であり、その意識の上にこそ、くにたちの文化芸術は育まれてゆくのではないでしょうか。 具体的には、つくる側である芸術家、アーティスト、ものづくり…と、市民との共同作業の場づくりを進める必要があります。 くにたち市という場とのつながりの中で、アーティストや市民が共につくり出せる何かを探し、共に作業することによって生み出されるものや出来事から、このまちが「今」求めている文化・芸術は見えてくるはずです。 私たちは、SO-ZO国立2007が終わった後、この為の場づくりを考え始めることにしました。 そんな中、文化庁では現在>、「市民による文化の力で日本の社会を元気にしよう」との構想から、「市民から文化力プロジェクト」を行なっており、各地域の「文化力」(文化の持つ、人々に元気を与え地域社会全体を活性化させて、魅力ある社会作りを推進する力)を盛り上げ、社会全体を元気にしていくための施策を行なっていることに着目し、その中で募集があった、「文化芸術による創造のまち」支援事業 に申請することにしました。 …以下抜粋 地域における文化芸術の創造,発信及び交流を通した文化芸術活動の活性化を図ることにより,我が国の文化水準の向上を図ることを目的とします。 対象となる事業は,地域の文化芸術活動の環境づくり,人材育成及び子どもたちが参加する文化芸術活動の活性化に寄与するもので、①地域文化リーダーの育成、②地域の芸術文化団体の育成、③シンポジウム等による発信・交流、④大学と地域との交流・連携の促進事業です。 …抜粋ここまで。 文化芸術による創造のまち」支援事業 http://www.bunka.go.jp/geijutsu_bunka/chiikibunka/shinkou/sisaku/souzou/index.html私たちは、くにたちアートプロジェクト実行委員会として 『文化芸術による創造のまち支援事業』 に対して以下の5つの申請を行い、それが採択されました。 1:大学と地域との交流・連携の促進 大学―行政―市民共同参画「アートによるまちづくり研究会」 2:地域文化リーダーの育成 「くにたちアートプロジェクト 人材育成ワークショップ」 3:地域の芸術団体の育成 「国立の物語」を創る。 街劇団「えんがわカンパニー」の育成 4: 同上 「くにたちアートプロジェクト 「わらべ歌の時間」の育成 5: シンポジウムなどによる発信・交流 「くにたちアートプロジェクト シンポジウム」 この申請に対して、文化庁が助成することになります。 事業期間は4月1日~3月31日の1年間。 以下、事業申請内容 1:大学と地域との交流・連携の促進 大学―行政―市民共同参画「アートによるまちづくり研究会」一橋大学と地域を結ぶ「まちづくり」授業。この授業学生メンバーMusiAは、国立市市制施行40周年事業として民間による初のアートプロジェクト【SO-ZO国立2007~くにたち秋の芸術祭】を主体的に担い、行政-大学-市民の協働、さらにはアーティストのネットワークを築くなど、国立の「文化的資源の活性化」や「人をつなぐまちづくり」を前進させた。この取り組みを今後も継続・発展するべく企画された「くにたちアートプロジェクト」の調査研究機能を担う母体として「アートによるまちづくり研究会」を立ち上げ、定期的に研究会を開催し、アートによるまちづくり研究ネットワークを構築し、ニューズレターを発行、アーカイブを作成する。 ・大学…「まちづくり」授業によるリーダー的学生の育成。一橋大学社会学研究科「市民社会研究教育センター」と共催して「アートによるまちづくり研究会」を企画運営。 ・行政…2007年から本格化したアートによるまちづくりを後押し、市民と話し合いの場をつくり市政へ生かす。 ・市民…「アートによるまちづくり研究会」への参画、「市民社会研究教育センター」において実践的な共同研究。 ・まちづくり学生…くにたちアートプロジェクト実行委員会等に参加、「アートによるまちづくり研究会」への参画。また一橋大学兼松講堂イベントなどを企画実行。 2:地域文化リーダーの育成 「くにたちアートプロジェクト 人材育成ワークショップ」地域で受け継がれてきた自然や芸術文化、生活様式などを、住民参加によって、持続可能な方法で学習・保存・展示・活用していくという考え方や実践であるエコミュージアム型の文化芸術活動を「くにたちアートプロジェクト」と題して展開することを目標とする。「くにたちアートプロジェクト」の目的は、地域に暮らす芸術家と一般市民が共同して、街の中の様々な場所で小さな展覧会を企画し、それらを有機的に連動させることを通じて、街が潜在的に持つ芸術リソースの再発見や、この街だからこその芸術を新たに創出することである。活動分野は美術のみならず、音楽や演劇など芸術活動全般である。地域の特性を生かすことのできる地域文化リーダーを育成することで、個性豊かなまちづくりに寄与したい。そのために、月1回、地域の文化芸術を調査するワークショップや、親子で参加可能なワークショップを開催することを通じて、「くにたちアートプロジェクト」を推進する地域文化リーダーを育成すると同時に、芸術家と市民が一体となって、芸術文化活動の意義と可能性を共に考察できる場を提供する。 3:地域の芸術団体の育成 「国立の物語」を創る。 街劇団「えんがわカンパニー」の育成国立の街の記憶・暮らす人のインタビュー・フィールドワークを集め創ったオリジナルの戯曲をさらに発展させ、新しい『わが街~くにたち』を上演する。この創作過程を通じて、国立の過去・現在を演じることで実感し「まちづくり」の視点を養いながらも役者としての育成を目指す。さらに劇団員以外の市民に向けても、脚本世界を演じながら舞台世界へ意見を反映するワークインプログレスを開催。より開けた作品創りを目指す。また上演後もワークショップ・公演を続け、地域に演劇並びに劇団が根付き、豊かな文化・芸術創造に寄与することを目的とする。 4:地域の芸術団体の育成 くにたちアートプロジェクト 「わらべ歌の時間」 の育成これからの地域文化リーダーとなるのは地域に住む「子どもたち」に他ならない。芸術を介して地域と触れ合うことは、子どもたちの人格形成のみならず、地域の将来的かつ永続的な活性化という点できわめて重要である。こうした理念の下、申請者・小池は自ら運営する「プランターコテージ」において「わらべうた」教室を定期的に開催し、好評を博してきた(月2回・4年間でのべ96回)。「わらべうた」は昔から親から子、孫へと歌い継がれてきた歌である。うたの範囲は北海道から沖縄まで日本全国に渡り、土地の特色を反映しているので、子どもたちは歌い遊びながら各地域の記憶に触れることができる。このように地域と歴史の結び目をなす「わらべうた」を用いた活動は、単に伝統を伝えるに留まらず、街と芸術文化の接点を探る私たちにとって重要なプログラムとなる。「わらべうた」の定期公演を月に2~3回、プランターコテッジ他でおこなう。 5: シンポジウムなどによる発信・交流 「くにたちアートプロジェクト シンポジウム」地域社会に暮らす芸術家と市民が社会とアートについて共に学びながら「今、此処でしかできない芸術」を創造するという共同作業を通じて、アートを積極的にまちづくりに活用する仕組みづくりそのものを、「くにたちアートプロジェクト」と題し、こうしたアートの可能性を一般市民とも共有するために、計3回、市内の公共施設でシンポジウムを開催する。発言者としては、第一線で活躍する芸術家や評論家、ギャラリスト、美術キュレイターを招く。これらのプログラムは芸術家のための芸術講座ではなく、一般市民が地域で日常的にどのように芸術を育成していくのかという問題設定の下で開催される。アートと社会との関係性についての情報発信を定期的に行なうことによって、「くにたちアートプロジェクト」への理解、参加者の拡大を図る。 ■ その他の方向性については後日。 元 SO-ZO国立2007実行委員会副委員長 (委員会は解散) RIKI-TRIBAL代表 現代美術家 小池雅久 国立市第4期基本構想 施策別計画 将来像を実現するために 『ひとを育てる・守る』の中には8項目の目標を設定、その内の2項目では、「くにたちの文化を受け継ぎ、つくる」ために、 ○文化が香るまち ○多文化共生社会の実現 を明確に掲げています。さらに、「子育ち・子育てがしやすい環境をつくるために」、次世代を担う子どもたちを支える でも、おとなになることを支えるとして、文化・レクリエーション活動の推進が。 『ひとが生きる・暮らす』の項目 「学びで人が出会い、つながる」では文化という文字は見えないものの、学びの場づくりとしても文化を欠かすことはできないでしょう。 その他、元気なコミュニティーづくりや、アーティストやものづくり参加など、いきいきとした産業のあるまちづくりにも文化が大きく貢献することが期待できます。 このように第4期基本構想の全体を通して文化が貢献できると思われる項目は数多く見られ、くにたちの将来像を実現する上でくにたちの文化は今後非常に重要な役割を担うことが予想されます。 時代の変化と共に、文化・芸術の社会的な位置づけも変化してきました。 平成十三年十二月に 『文化芸術振興基本法』 が公布され、文化・芸術に対して以前から求められていた「楽しむもの」「参加するもの」に加え、様々な人、様々なこと、様々なものを繋げることができる文化としての期待が加わり始めました。 現在、国立市の文化・芸術に関する施策は、教育委員会・生涯学習課の管轄の下、指定管理者制度によって、「くにたち文化・スポーツ振興財団」にほぼ全てが委託されています。 くにたち文化・スポーツ振興財団は、国立市において、文化・スポーツ事業等企画及び実施して、市民の文化と健康の向上を図り、地域社会の発展と豊かな市民生活の形成に寄与するという目的を掲げ、国立の文化・芸術を担っています。 この目的の下、1:「市民の文化芸術の振興の企画と実施」を芸小ホールが。 2:「郷土に関する文化の伝承と振興」を郷土文化館が。 3:「市民の自主的な文化・スポーツ活動の奨励及び団体の育成」を総務課が。4:スポーツ振興は総合体育館が 5:施設の管理運営および事業を各施設が行なっています。 これらの事業はもちろん、国立市の文化・芸術およびスポーツの振興にとって非常に大切なものですが、これに加えて、第4期基本構想にある「文化が香るまち」 「多文化共生社会の実現」 の実現をはじめ、くにたちの将来像を実現するための様々な施策を横断し、「様々な人・こと・もの」を繋ぐ、くにたちらしさを持った文化・芸術を振興すると共に、市民の自主的な文化・スポーツ活動をさらに奨励し、くにたち文化を担う人材を育成する必要性があると考えます。 昨年、平成19年(2007年)、国立市は施政施行40周年をむかえるにあたり、一橋大学のまちづくり授業の学生、スタッフ、くにたちで芸術に関係する市民有志、国立市によってSO-ZO国立2007実行委員会を組織し、(くにたち文化・スポーツ振興財団は不参加) 「SO-ZO国立2007~くにたち秋の芸術祭」を行いました。 この事業の目的は、国立市で秋に開催される文化・芸術系イベントの情報を集約しプログラムを通して発信(SO-ZO国立2007はイベントを主催・開催はしていません)することを通じて、国立市の文化・芸術リソースの再発見と、国立の文化・芸術の可能性を探ることでした。 私たちは、SO-ZO国立2007の開催によって、日頃感じていた『くにたちの文化力』を再認識すると同時に、 「くにたちの人・こと・もの」 は文化によって繋がることができると確信し、その報告と提言をまとめ、国立市に対し提出するに至りました。 『国立市への提言』は以下の内容。 (具体的な考え方など詳しくは、PDFデータ) ●基本的な考え方 (1)この街が必要としている文化は、 『自らが関係し、自らが参加する』=『自らの想像によって、自らが創造する』ことの上に築かれるべきであり、この理念に基づき、今後10年、20年後を展望した国立のアイデンティティーを確立していく必要がある。 (2)市が「文化が薫るまち」にふさわしい文化・芸術活動を積極的に後押しし、地域の「財産」を生かした新たな文化・芸術ネットワークの構築とそれを推進するための予算措置並びに組織作りが不可欠である。 (3) 「SO-ZO国立って何?」という声が多く、文化に関する市民の関心度は高い。 「SO-ZO国立」の継続のための諸施策を検討ほしい。 そして、平成20年 先月開催された、「平成20年国立市議会第1回定例会」にて、平成20年度国立市一般会計予算が可決成立。この中には、文化芸術活動の充実の為の費用-“くにたち文化スポーツ財団事業費補助金”という項目でSO-ZO国立を今年度も継続する為の事業費としての¥686,000が含まれています。 (いまのところ、これがSO-ZO国立継続費用であるとの正式な報告は頂いていませんが…) 現在、SO-ZO国立2008 がいつ、どのような形で開催されるのか? 主催はくにたち文化・スポーツ振興財団ですが、それ以外は何も決まっていません。 しかし、この予算は間違いなく私たちが動き、そして、やっとのことで予算組みをし、くにたちに暮らす人々に認めて頂いたものであることは間違いありません。 この予算は必ず、くにたちの文化…くにたちの将来のために繋げなければなりません。 文化・芸術には、ばらばらになりかけた人を繋ぐ大きな力があることは確かです。 この力を一緒に感じ、そして一緒に育ててくれる方を求めています。 くにたちのため なんて考えると重すぎるし、つまらないので、そう考えなくて良いと思います。 文化・芸術の力を信じれる人が一人でも増えれば、社会の何かが必ず変わると実感できると私は思っています。それがくにたちで見れるだけのことです。 それでは、連絡をお待ちしています。 (RIKI-TRIBAL 小池マサヒサ までメールください。 rikitribal@yahoo.co.jp ) ■追加報告 です。 私たちが、SO-ZO国立とは別に、文化庁による『文化芸術による創造のまち支援事業』に対して、 『くにたちアートプロジェクト』として申請していた企画がほぼ決まったようです。 こちらも正式な報告はまだ頂いていませんが、まず間違いないと思いますので報告します。 『文化芸術による創造のまち支援事業』 に対して5つの申請しています。 1:大学と地域との交流・連携の促進 大学―行政―市民共同参画「アートによるまちづくり研究会」 2:地域文化リーダーの育成 「くにたちアートプロジェクト 人材育成ワークショップ」 3:地域の芸術団体の育成 「国立の物語」を創る。 街劇団「えんがわカンパニー」の育成 4: 同上 「くにたちアートプロジェクト 「わらべ歌の時間」の育成 5: シンポジウムなどによる発信・交流 「くにたちアートプロジェクト シンポジウム」 この事業の目的は、人材と団体の育成です。 具体的なイベントはこの事業をとおして育まれるであろう人材がリーダーとなって行なわれる予定です。 内容など、詳しくは後日あらためて。
私たちは誰も皆、「自分が誰であるか、自分がどこにいるか」という問いを自らに投げかけながら今を生きている。
それが仕事にせよ趣味にせよ、自分が何かとの間に関係性を築くということは、自分が今この世界を生きていることを信じるためだと私は思っている。 ![]() 「自分が誰であるか」の「誰」は、人との関係性をどう生きているかの中に見えてくるものであり、「自分がどこにいるのか」の「どこ」は、場所との関係性をどう生きているのかの中に見えてくるものだ。 人との関係性を生きるには、関係性を築くための場所が必要だし、場所との関係性を生きるには、場所を築く人が必要になる。ようするに、私たちは皆、どちらか一方だけではこの世界を安定して生きられない。 私たちがこの世界で生きるには、人と場所の両方を必要としているということなのだ。 しかし本来、人も場所もその両方ともがそれはそれ…そこには互いに必要としあっているという関係性は無い。 この二つが関係性を持って繋がるのはいつなのか? それはおそらく、「自分が誰であるか、自分がどこにいるか」という問いが心の中にあると、人が自らが気づくその瞬間なのではないだろうか。 場所が人に対して気付くことが無い?(私たちには確かめようがない)以上、人が自分自身の心の中にある「自分が誰であるか、自分がどこにいるか」という問いに自らが気づくことによって、人と場所との関係性は始まるということだ。この場所は「まち」と同じ意味を持つ。 だから、それに気づいた人はまず、場所について学ばなければならないし、その学びを通じて自分と人との繋がりが生まれ、私たちはその間の関係性を生きることになるのではないだろうか。 ![]() 私が暮らす国立市という「まち」…場所について私たちはどうやって学ぶことができるのだろうか。 まず始めにしなければならないことは、目には見えない…本当はこの世の中に存在しないはずの境界線を無くして見ることである。これは国立市という場所の原点を知るために必要な作業となる。 そもそも、市境となる境界線は、場所を範囲という基準で管理するために便利上設けられたものにすぎない。とは言え、境界線は何もないところに何の目安も無くある日突然引かれるものではない。その目安は始めに、土地の形状、その次は気候、次が植生、最後に歴史。(歴史には土地の歴史と人の歴史がある。)国立市の歴史は人の歴史の部分に属している。 国立市という「まち」について学ぶ為には、この場所を人が選択した歴史をさかのぼり、さらにその土地とはどんな特徴があるのかを知る必要性があるのだが、そう考えた場合、国立市にとってまず始めに注目すべきは、最初に集落が形成された谷保という場所であることは誰にとっても明かである。 ![]() ただし、ここで誤解してはいけないのは、国立市にとって誰が尊重されるべきか…とか、どこの場所が尊重されるべきなのかということでは無い。 国立市という場所に暮らす人々にとって、谷保という場所が築いてきた歴史によって学べることは極めて多いということであり、その点からすれば、国立市に暮らす人々は皆、過去から現在に至るまで谷保に暮らしてきた人々に対して、尊敬と感謝の気持ちを表す必要性はあると思う。 その気持ちを持つことによって始めて、私たちは谷保という場所から学ぶことが可能になるし、そこからの学びによって得る何かは、今後の国立市にとってのまちづくりの方向性にとって絶対に欠かすことができないものになるということだ。 国立市には、森を切り開き、列車を通すことによって築かれたまちで暮らすしかなかった人々もいる。その人々は湧き水の出ている場所がどこにあるのかを知らなかったし、自分たちの食べ物をつくる方法も知らなかった。その人々がそこで暮らしてゆく為には、さらに森を切り開き土地を売って、そこにないものは遠くから列車に乗せて運んで来るしか方法はなかったのかもしれない。しかし、さらに切り開く森が無くなった今、その矛先を谷保という場所に向けるのか? それとも、ここでの新しい暮らし方を生み出すのか? 国立市に暮らす人々の選択はそのどちらかしか残されていない。 ![]() 私は、国立市の今後の方向性(国立市のアイデンティティー)は、谷保という場所の中に既にあるもので、私たちは谷保という場所の中からそれを見つけることができると思っている。 それは、昔に比べて周辺の風景は変わったとはいえ、東京という大都市近郊にありながら、昔ながらの集落の姿をこれほどまでに保ってこれたのも、多様な水辺の生態系をつくり出せているのも、この地域に暮らす人々が日々懸命に、自然との共存を選択しながら暮らしてきた事実があるからである。 国立市に暮らす人々が切り開く森を求め、その矛先を谷保に向けたとしても、いずれその森もなくなることは誰もが想像できるし、その方法は目の前の問題をごまかし後回しにする手段にしかならない。いずれそうならない為には、私たちがこの場所での新しい暮らし方を見つけ出す以外に方法は無い。 私たちは「新しい何か」を思い描くとき、今までどこにも無かった方法を追い求めがちだ。それと同じで、過去の暮らし方は現代の暮らし方と比べると劣った暮らし方であると私たちは何処かで思い込んでいないだろうか。 でも本当にそうなのだろうか? 国立市というまちが谷保という場所から始まったのだとすれば、今私たちはその答えを見つけるために谷保という場所に学ぶべきだと思う。そこには、国立という場所の土地の表情を知る手がかり、この場所の気候の特徴、温度変化や季節を知り尽くしたここで育つ植物がある。 学ぶということは、その通りにする…従うということでは無い。 自らが経験し、自らが気づき、そこに本当にあるものがずっとそこにあり続けるために必要な方法を見つけることだと私は思う。
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