善光寺平は本州を縦断する地溝帯・フォッサマグナの一部。長野県の主要4盆地の一つ、長野盆地のことです。私はこの盆地で生まれ育ちました。
大学が東京だったことで、ふと気がつけば長野で暮らした年月よりも長い時を東京で暮していました。でも、こうしてまた長野に暮らし始めたことで、あらためて、四方を山に囲まれた盆地という地理的環境、あるいは、盆地ゆえに育まれるのであろう風土・文化が、私という個性・人格と深く関係しているということを感じることが多い今日この頃。 私には「東京はあの向こう側にある」というイメージがあります。 自分が育った善光寺あたりから見て南東の方向…菅平高原の根子岳のその向こう側に東京がある…という感じでしょうか。 「あの」は「山」のことであることは言うまでもありませんが、私が抱く心理的感覚としては、これから起こることであろうこと全ては「あの」という「山」の向こう側にあって、その頂きを越えなければ到達できない…という漠然とした感覚が私の心理に深く浸透しているようなのです。 「あの」は、川でも海でも谷でも無くて、私にとっての「あの」は、やはり「山」なんだと思います。考えてみるとそれも当然…山から昇って山に沈む太陽を見て育ったのですから…。善光寺盆地という地理的環境ゆえに育まれる感覚によって私は世界と繋がっているのだと思います。 私は美術…あるいはArtを生き方として選択しています。美術やArtが仕事と呼べるのかどうかは未だ疑問ではあるので、職業を聞かれることに多少の抵抗を感じつつも、これに抵抗する意味も無いので、結局は「美術家です」なんていい加減に答えてしまっています。 まぁともかく、こうしてArtに関わる生き方を選択してしまっている以上、外界の事象(もの・こと・情報)をとらえる「感覚」というフィルターはとても重要で、日々「感覚について考えること」ばかりしています。 Artって何?を説明することは困難ですが、そもそも答えを出すこと自体がナンセンスだとも思います。でも、私たち人間は本来皆「感覚」を持ち合わせているがゆえのArtであることだけは確かとだけは言えるでしょう。 私たちは外界の事象を五感によって感じると同時に、いわゆる第六感と呼ばれる「感性」の働きによって直感的かつ統合的に関係性や意味性を見出すことができます。(心理学的には、感覚と感性は必ずしも同一でしていないようですが…) 「感性」はその大半の過程が無自覚・無意識のうちに起る脳内プロセスである点、理性や知性と大きな違いがあります。 理性や知性は主に、『学習』によって育まれるものであるのに対し、「感性」は、遺伝子と深く関係を持ちながらも、主に成長の過程における『経験』によって、さらにそうした経験と関連しながらも、無自覚・無意識のうちに育まれます。 こうして育まれる「感性」は私たち一人ひとり固有の感覚ですが、全ての人が持っているもの…本来は感性を持たない人など一人もいないはずなのです。 Artは、私たち人間が持ち合わせている固有の感性と感性の授受によって成立します。感性の違いはあって当然。私たちは全て固有の生き物。世界は多様な感性の集合体であることを知ることもまた、Artの役目なのかもしれません。 #
by riki-tribal
| 2010-03-24 16:26
| Artあれこれ
「田園工房(国立市富士見台)」との関わりについての御報告
『田園工房』については、既にご存じの方もいらっしゃるかとも思います。 この場所についての此処最近の動向について、日頃、プランターコテッジならびにリキトライバルの活動に対しご理解、ご支援下さっている皆様にお伝えする必要があると思いましたので、プランターコテッジBlog、RIKI-TRIBAL・HPにて御報告することに致しました。 プランターコテッジの運営主体であるリキトライバル代表、小池マサヒサは、昨年夏頃より、東京・国立市富士見台において、地域に暮らす人々が、ものづくりができる工房をつくりたい…というオーナー(土地と建物の所有者の方)の想いに賛同し、これに対し協力してまいりました。 この場所の名称「田園工房」はオーナーが決めた名称ですが、私は、田園工房の実現に向けた、様々なアイディアや運営方法の提案・検討をはじめ、今年7月より始まったカフェ事業に於いては、空間のデザインから施工まで、多様な要素に対して自主的に、主体的に関わってまいりました。 この構想に賛同・協力した理由は、場所の立地と広さ。その土地の所有者であるオーナーが「自分でつくる」というきっかけによって人が繋がる場づくりを望んでいたから。 既に10年を経過したプランターコテッジでの試みでは、場所の広さと立地条件によってイメージはできても実現できないいこともたくさんあります。それらの幾つかをここで実現できる可能性があるかもしれない…そう思ったからでした。 私はまず、この構想を進めるにあたり、地域に暮らす人々の声を聞くと同時に、「田園工房が目指すイメージを発信する必要がある…と考えました。 このことについては、長い時間をかけて、オーナーと話してきたつもりでしたが…。 単なるカフェ運営でしたら、東京で、しかも国立市で、この時期の開店は少ないと思います。 しかし、地域の「ものづくり工房」を目指すのであるならば、地域を知る為にも、田園工房を知ってもらうためにも、交流の場づくりは特に重要であると考え、それをするなら早いほうが良いのでは…と考えたのです。 国立市という場所の特性(学校が休みになるなど…)を考えれば、7月、8月という季節の事業運営は厳しいであろうとのことは予想できましたが、この場の今後に対する皆様からの期待の声は大きく、多くの方々が足を運んでくださる状況は、私の想像を上回るものでした。 工房としてチラシ・広告に資金を回す余裕がない状況の中、頼りは人々の口伝てしかありませんでした。そう考えると、オープン以降これまで訪れてくださったその殆どが、人々の声が繋がった結果だったのだと思います。この構想が実現してゆく過程では、多くのヒトやコトやモノが繋がって行くことが十分予想できるスタートであったと思います。 ところが、8月も後半になって、オーナーから突然、このプロジェクトそのものの見直しが必要との意向が伝えられ、これと同時に、早急に田園工房からの全ての私物を撤去してほしいとの要請がありました。 この意向に関してオーナーは私たち(他の関係者にも)には、多くを語ってはいませんが、 「この挑戦は間違いだった。たくさんの人々が関わることで、本来の計画(オーナーが抱いていたイメージ)とは、あまりにもかけ離れたものになってしまった。人と一緒に進めるのは大変…。損失をこれ以上増やさない為には、一刻も早く、今の状況を止め、できる限り早急に生産性を上げる方向性に切り替える必要がある…」と言うような見解をお持ちのようです。 田園工房の今後についても同様に私たちに伝えられてはおりませんが、ご自分たちだけで運営してゆくそうです。 大変残念な見解ではありますが、あくまでも構想の賛同者であった私としては、土地所有者であるオーナーが方向性を修正すると判断する以上、見解に疑問はあろうともこの見解に従う他ありません。 様々な人々の意見を聞きながら判断しなければならないご苦労もあったかとは思います。 ただ、最終的には全てについてオーナー自身が判断し決断した結果であることだけは認識して頂きたいと思っております。 私自身、プランターコテッジの代表として、それは同じです。 今年4月からプランターコテッジの運営方法は大きく変化しました。 私も私の妻もプランターコテッジにいない時間でも、仲間がこの場所を支えてくれています。 これは本当に嬉しいことです。 プランターコテッジの10年間がこの美しく素晴らしいことに繋がっていると思います。 この場に訪れる人々が責任をも分かち合うこと。 こうした場づくりを進めている責任は私にあるのは当然のことだと思います。 9月3日に、工房内にある私の私物は全て運び出しました。 引っ越し作業をお手伝いして頂いた方、本当にありがとうございました。 しばらくの間は、国立市の近くで荷物を保管させて頂けることになりました。 近く、全ての道具や材料を長野市に移す予定です。 田園工房での構想よりは幾分小さな場所ですが、今後は、長野市にて、「自分でつくる」で人々が繋がれる場所づくりを始めるつもりです。 (田園工房カフェのため制作したカウンターキッチンは、オーナーが使用するとのこと。オーナーに譲渡するに至りました) 昨年11月に、「くにたち市子供体験塾支援事業」として開催したWSで制作した、「土の家」と「土の壁」については、オーナーは不要とのことですので、近く責任持って、解体撤去することにいたしました。 もうしばらくの間は田園工房北側エリアで見ることができます。 ※お願い!! この「土の家」と「土の壁」に使用した土は、国立市近郊の残土(赤土)に細かく切り刻んだ藁を混ぜ、子供たちと一緒に足で踏んでつくった貴重な土です。 量にして1立米ほど…。 この土は伝統的な日本家屋の土壁として用いているものと同じ土で、再生使用できる完全な自然素材です。 しかし、残念ながら、私たちは現在、この土を確保・保存しておく場所がありません。現状では、産業廃棄物処理業者さんに残土処理をお願いすることになります。そこで、 この土が欲しい!という方。 この土で壁や家をつくりたい!という方がいらっしゃいましたら、どうかご一報 下さい。 土はもちろん無償で差し上げます。 メール rikitribal@yahoo.co.jp 電話は、090-8505-1280 小池マサヒサ までお願い致します。 7月のカフェオープン時より日替わりカフェマスターをして頂いていた方々も既に全員、退去しています。 皆、それぞれの場でそれぞれの活動を開始しています。 そんな皆さんの近況などは、PlanterCottage Blogでもご紹介させて頂くことにいたします。 これまでこの「場づくり」に関心を寄せ、協力して頂いた方々には、 心よりお礼申し上げます。 リキトライバルは今後、『田園工房』に関わることは一切ございませんが、 ここでの経験を活かし、次の場づくりを開始したいと思います。 もちろん、図書館&ギャラリー・プランターコテッジの活動は継続します。 今後ともどうぞよろしくお願い致します。 2009年9月8日 RIKI-TRIBAL 小池マサヒサ #
by riki-tribal
| 2009-09-09 07:16
| 国立のこと
おそらく、もう少しすると、かなりハードな日々が始まりそうな気配が漂いだした今日この頃。
嵐の前の静けさ・・・というか何というか、 ここ最近はいつにも増して、超・・超スローペース。 まぁ、たまにはいいか、こんな時があっても・・・な~んて、ごまかしてはみるものの、 ほんとうは、このBlogに書く気になる時ってのは、もう既に、“かなりきてる”・・・って時が殆ど。 何がきてるのか?・・・それはわからない。 長野市は小さな地方都市にしてはバンドやってる…っていう人が多いような気がする。 既に、かつてのライブハウスの殆どは無くなってしまったけれど、新しいライブハウスは市内のあちらこちらにたくさんあるようだ。 東京行きの大きなきっかけとなったライブハウスも今は既に無いけれど、そのライブハウスのあった場所がまたライブハウスとなっていることは、なんだかとても嬉しい。 そこを運営している彼らは、自分たち家族が長野市に暮らすことになる一つのきっかけだったと思っているのだけれど、どうも恥ずかしくてそんなことは彼らには言えない。 自分が最初にこのまちに暮らしていた頃?っていうと、もうずいぶんと昔のことだけど、あの時、バンドやってなかったら、東京からやってきたあのバンドに脳天揺さぶられなかっただろうし、東京になんて行ってなかったかもしれないし、美術なんてよくわからないものにも出会わなかったかもしれないし、今のような自分にはなっていなかったかもしれない・・・。 あの頃どう思っていたかなんて、もうよく覚えていない・・・けど、バンドやってたのは音楽が好き・・・なんていう純粋さなんかじゃ無かったということは確か。 10代後半のなんだかよくわからないけど、このままは嫌だ!!・・・っていうような、上手く言い表せない、どうしようもない気持ちの行き場所…ってのが、自分にとってはたまたまRockバンドだっただけだと思う。 あの時、その行き場所が「勉強すること」・・・だったとしてもさほど大きな違いは無かった。 彼女が「一緒に勉強しよう!」なんて言っていたら、きっと勉強することにしていたと思う。 でも、そう言わなかっただけのこと。 暴走族しまくってた友達もいたけれど、あいつだってきっと大して変わらなかったんだと思う。 たまたま自分はあの時、勉強することよりも、暴走することよりも、バンドすることにした・・・。結果、だから今に至るわけだけど、今、この街をこうして歩いていると、もしかすると本当はどれだったとしても、結局は「今」にたどり着いていたような気もするし、でも、それでも、だからこそあの時はRockだった…ってことなのかな・・・とも思う。 なんかもうどうでもよくなってきたので、今回はこのへんでおしまい。 #
by riki-tribal
| 2009-06-09 23:56
| 長野のこと
長野へ移住してきてから我が家ではTVの無い生活が続いている。
何も強い信念があってそうしたわけでは無い。 くにたちで住んでいた家には、ケーブルTVアンテナの差し込み口があったのだが、ここ(ボロイ蔵)にはそんなものは当然無い。だからTVを観る為にはアンテナを買って付けるか、もしくは、ケーブルテレビ会社と契約しなきゃならないのだけれど、アンテナ付けるのは面倒だし、契約なんかしたくないし、小学校に行き始めたばかりの娘は夜の8時にもなれば、ぐてんぐてんで、いちゃもんだらけになってしまうものだから、そもそもTVなんて観てる余裕なんて殆ど無い。 さらには、地デジ!地デジ!・・・と指図されることに、かなりむかついているのも後押しして、TVはずっと荷物のまま・・・ほったらかしにしていただけのこと。 (廃棄するのにお金がかかる…って言うのも、未だになんかなぁ・・・って感じ) そんな偶然ではあるけれど、TVを観なくなったのと同じタイミングで家族の生活も確実に変化し始めている気がする。 ・・・。 もっともこの春から、我が家はあまりにも変わったことだらけなので、TVを観なくなったことが一体どれだけ家族にとって影響しいるかわからないけれど、 まぁ・・・、このぶんでゆくと、おそらくこの先も、TVが我が家に登場することは無いと思う。 と言うことで、我が家にはTVは無いけれどラジオはある。 ここ長野市(正確には北信地域一帯)に向けて放送しているコミュニティーFM…「FM善光寺」というローカル局を朝1時間・昼1時間・夕方1時間のローカル向け放送だけ聞くことはわりと多い。 地域情報ツールとしては今後の大きな可能性を感じるものの、今のところはまだ発展途上って感じ。 殆どの時間帯はオリジナル放送は無くて、東京のJ-waveの放送をそのまま放送しているってのが難点。 (どうやらFM善光寺さんはJ-waveが聞ける!ってのも売りの一つのようなのですが・・・) 「今日の東京の天気は雨、夕方からは晴れ間も覗くでしょう・・・」や、「首都高速4号線上り、赤坂トンネル付近は渋滞・・・」な~んて、長野で東京の情報を聞いている・・・って状況の無理矢理感に疑問は増大するばかりは私だけ?・・・かもな・・。 とは言え、こんな地方ローカルコミュニティーFM局を支えているリスナーもたくさんいるってことを、番組中の曲選択から想像できる。 色々と厳しい現実はあるのだろうけど、それはそれ・・・その向こう側にリスナーの存在を感じとれるのはとても嬉しい。 まぁ、若い世代は殆ど聞いていね~んだろうなぁ・・・って感じだけれど、そういった感じがヒシヒシと伝わってくるあたりもGoodだなって思う。 今日はなんと朝からディープパープルが聞こえてきた。 おいおい、いくら何でも朝から飛ばしすぎだぜ!!おじいちゃん!! その後が、ボストンの名曲、More Than A Feeling まぁ、朝なんだからこの曲ぐらいならいいけどね。 ・・・で、ほんとうは久しぶりのBlogの更新(早、5ヶ月ぶりかな・・・) 今日は6月9日 なので、 69な話しでも・・・と思ったりしたのだけれど、早くもこんなに話題がそれてしまった。 なので、今日はここまで。 http://www.youtube.com/watch?v=IcsVPis1iNs #
by riki-tribal
| 2009-06-09 11:40
| 日々・・・あれこれ
特別公開ラウンドテーブル:
<コミュニティアートの今~日英の対話から~>に参加してきました。 第一部では、アート・カウンシル・イングランド・イーストミッドランド・チェアの、フランソワ・マタラッソさんによる基調講演。 第二部では、伊地知裕子さん(クリエイティブアート実行委員会)と村田達彦さん(遊工房/西荻まちメディア)からの事例報告 第三部では、コミュニティアートの現状と課題を、フランソワ・マタラッソさん、伊地知裕子さん、村田達彦さん、小林真理さん(東京大学人文社会系研究科文化資源学)和多利浩一さん(青山学院大学総合研究所/ワタリウム美術館)を中心に話し合われました。 主催は、 青山学院大学総合研究所(青山文化研究プロジェクト) 青山学院大学総合文化政策学部(総合文化政策学会) 東京大学(日本学術振興会人文社会科学振興プロジェクト 「都市政策の課題と芸術文化の役割に関する研究」グループ) コーディネータは、鳥越けい子さん(青山学院大学総合文化政策学部) 私にCommunityArt…という意識は全く無いものの、日頃、私が関わりを持って進めている「場づくり」がCommunityArtと呼ばれることが多くあります。 PlanterCottageという場づくりでは、場につくられる記憶とそこに発生する様々な関係性を「コトとしてのArt」として実現することを目指してはいるけれど、多少の違いはあろうが、それもArtだと思ってきました。 確かに、常日頃、Artは変化せざるを得ないと思ってはきたものの、それは単に言葉があれば解決されるとは、もちろん思ってはいません。 今、自分が感じている「変化せざるを得ない」ものとは、Artなのか?CommunityArtなのか?ではなくて、どうやら「それらを分かつ何か…」であるということをとても強く感じつつ、CommunityArtを語るより先に、「Artについて」そして「Community」について真剣に考え、話す必要があるのではないだろうか・・・と思う一日となりました。 Artに惹かれ、今もその可能性を信じ追い求めている私にとって、ArtとCommunityArtとの間に境界線はありませんし、今後もそれは必要ないと思っています。とは言っても、既に社会にはCommunityArtという言葉は存在しているし、今後も、CommunityArtの解釈は変化しつつ、しかし、CommunityArtという言葉がなくなることは当分の間は無いだろうとも思います。 私はなぜCommunityがArtを選択し、CommunityArtという言葉を導き出すことになったのか?については少なからずの興味を持っています。 それがなぜCommunityDesignではなくて、CommunityArtなのか。 ここでArtが選択されていなければ、少なくとも私がここに介在することはもっともっと後になっていた・・・、もしくは、ここに興味を持つことはなかったのかもしれません。 20代の後半のこと…、私には、「Artを生きる術としたい」と想いがあるものの、それに比較して、その想いの背景に必要不可欠な、「なぜ?」「何処で?」が非常に希薄であることに気付きました。 それはちょうど、美術館や画廊といった、いわゆる既存のアートマーケットのあり方に疑問を感じ始めていた頃… 今思うと、考えるまでも無く明確に存在すると思っていた「自分が生きる社会」について、自分は今まで全く考えていなかったことに気が付いたのがその時だったのだと思います。 今、日本のアートマーケットは、未だかつて無い若手重視の時代を迎えています。 多くのギャラリストが大学の卒業制作展に出かけ、有望な人材をスカウトするといった光景があたり前になりつつあります。 もちろん、アーティストを志す若い作家にとって、ありがたい話しですし、結果、作品の完成度は、私が学生だった頃とは比較できないほどにレベルUPしているようにも見えます。 ただし、現在の日本のFineArtを語る上では、村上隆を語ることがあたり前と言われる程に困窮している…というのが現実だと思います。 彼のような作家を目指す若手は少ない・・・という話をよく耳にしますが、はたしてそれは本当なのでしょうか。 美術家を目指す若者は少なくなったとは言え、アートマーケットは依然として健在です。 アートグローバリズムに異議を唱えることもまた自由ですが、アートマーケットは確実に、そして、したたかに進化してきているのです。 村上隆は、そんなアートマーケットの存在を顕にすると同時に、現代美術とはなんなのかを雄弁に語りながら(私には疑問が多いけれど…) 「アートマーケットに於いては話題性こそが価値」…と言うことを言ってのける貴重なアーティストなのです。 アーティストがアートマーケットを視野に入れることは決して間違ってはいません。 村上隆がいなかったら、アーティストを志す者は確実に減少していたことでしょう。 潜在的に彼に学び、さらに彼を越えようとしているアーティストは既にたくさんいると思います。卒業制作が幾らで売れるかを計算しながら、2年後3年後の戦略を練るアーティストが増えれば増えるほど、村上隆の作品はより高額の値で取引されるようになる。 かつてこれほどまで直接的に、Artの純粋無垢さ故の脆さを表現したアーティストはいませんでした。 その意味からすれば、宮島達男が芸術系大学の職に付くことよりもずっとずっと意味のあることだと私は思っています。 ・・・と言いつつも、私は彼(村上)の表現が全く好きではありませんが…。 私は27歳になってから始めてニューヨークに行き、当時のアメリカのArtを目の当たりにしました。そこで印象に残っているのは、二十歳そこそこのアーティストの表現力の幅広さと、堂々たる態度。そして、アートマーケットにデビューするには年齢制限があるという現実でした。 当時と比較すれば、世界のアートを巡る状況に多少の変化はあるものの、表現の多様性は益々重要視され、それと同時に、アートマーケットは、より売れる作品を求める傾向にあります。安く仕入れ高く売る為には、利幅の大きい、若手作家がより重要視される… 当時のNYで聞かれた状況が、ようやく、アジア…おまけとして、日本にも訪れた感があります。 日本であること…。 CommunityArtを巡る様々な課題もまた、日本が培ってきた文化があるからこその歪です。 それは制度しかり。 イギリスのCommunityArtに学ぶことは多いとは思いました。 イギリスにはイギリスのArtがあり、イギリスのCommunityがあるということを聞きながら、 私たちは今、日本においてCommunityArtを確立すべきなのかどうか…ということをずっと 考えていました。 なぜなら、そこのところが最も大きな私の疑問でもあるからです。 「自分が暮らす町」という単位に焦点を合わせてみても、町というCommunityと日本のArtの関係性であるという点においては大差ありません。 多摩の3Kとも表現される一つ…くにたち市というCommunityにおける文化芸術政策のあり方を考え、提案し続けてきた私たちにとっても、「資金が足りない」が前提条件として横たわっています。 限られた予算を如何に配分するか?はもちろん大切なこと。しかし、現行の制度がどうであれ、「やる?やらない?」を、常に自分は問われているのだと思う今日この頃です。 CommunityArtに可能性がある・・・と信じるのであれば、やるしかない。 それができる人がやるしかないのです。 解釈の変化はあれど、おそらく今後も、CommunityArtが不必要になることは無いでしょう。 「資金が足りない…」、全体予算枠に対するパーセンテージからすれば、それは事実ですし、少しでもCommunityArtに可能性を見出そうとしている者からすれば、だから制度によってそれを増やしたい…と考えるのも当然だとは思います。 でも、もう一度よく考えてみる必要性があるのではないか。 CommunityArtは本当に資金を欲しているのかどうか?ということを。 私は、Artには私たちがCommunityにつくってしまった、大きくて深い溝の上に架ける橋となり得る可能性がある・・・と信じています。 とは言え、いくら信じていようにも、資金に縛られているし、事実、様々な活動をする上でその問題はとても大きい。 …でも、それは私がそれをしているから…であって、Artの可能性そのものは、私に資金があろうがなかろうが変わることは無い…。 ようするに、「Artの可能性が大切なのか?」あるいは、「私がそれをすることが大切なのか?」 という答えの先に、資金という壁は現われるのではないだろうか…ということです。 私はこれまで、「無いのなら無いなりに…、有るなら有るなりに・・・」の中でやってきました。 それでもどうにもならないこともあって、今はまだ実現できていないこともたくさんあります。 しかし、無いものは無い…それが事実ならば、「無いからつくるしかない」そうやってもがいていると、不思議なことに、その先に様々なCommunityが見えてくる。 つくるために、Communityと関わって行くうちに、つくろうとしていたものを変化させざるを得ない…。 そうしたモノやコトは、限りなく完成には近づくけれど、いつまでも自分の手から離れず 結果、いつまでも関わり続けることになる・・・。 こんな状態がもうずっと続いています。 …でも、この状態こそが、Communityへと発展するのではないだろうか? そう、思い始めたのは最近です。 CommunityArtとはこういうもの・・・という概念が明確化され、「…あなたのやっていることはCommunityArtですよ」と指摘され、そうしてそこにつくられるものがあるとすれば、それは、「CommunityArt」というコミュニティーぐらいなもの。 日本人は一つのコミュニティーへの所属意識がとても強い。 これは長所でもあり短所でもある… 私自身はもちろん日本人ですし、コミュニティーの不在は自分にとってありえないと思っています。そのコミュニティーの希薄さや、コミュニティーの不在からくる様々な心理的不安感は、精神的障害に直結していることも明らかです。 私が主宰するPlanterCottageでもそれが話題となることはとても多く、不登校や引きこもり、鬱や依存からくる様々な暴力が日常的に存在することをたくさん感じてきました。 だからと言って、私が提示するワークプログラムは、そのような不安感を解決する為のプログラムになるとは考えていません。 精神的不安や肉体的痛みは、想像はできても、変わったり、分けることはできないもの。 痛みや不安は自分だけのものなのです。 痛みや不安が自分だけのものであるならば、Artもまた自分だけのもの。 おそらくそこではArtが何らかの形で関わることができるのかもしれない。 共有することのできない痛みと痛みを繋ぐもの・・・ それもArtの可能性の一つだと私は思います。 私は偶然にもArtという生き方を選択しました。 そして、自分自身はArtに於いてはどこのコミュニティーにも所属してこなかった…、 いや…正確に言えば、ある時から、ArtそのものにとってはCommunityは必要無いもので あり、ArtCommunityは存在しないと思うようになった。だからこそ、その逆にCommunity を強く意識するようになったのかもしれません。 今後どんなにCommunityArtが社会的に認知されようとも、CommunityArtがArtの本質を 含むものだとすればCommunityArtはCommunityArt。 もしCommunityArtがCommunity化した場合、私はそこに所属することは無いと思います。 Communityが連帯や共同体の意味を持つならば、Artは個人的で固有のもの…その意味か らすればCommunityの対極にあるものがArtなのかもしれません。 ようするに、Artの本質は連帯や共同体があれば築かれるということでは無いし、極端な言い方をすれば、人々をCommunityから全て開放する性質を持つものがArtとも言えると思っています。 もちろん、共同制作という製作方法はありますし、その結果として芸術性の高いものがつくられたりすることは多々あります。 しかし、「それがArtであるかどうか?」あくまでも個人的な領域に属すもの。 それを判断できる自由を獲得する力・・・それこそが私たち自身の中にあるArt性なのではないでしょうか。 「私とは私以外の何者でもない私」 あなたと私は異なる存在だけれど、あなたにも「私」があって、私にも「私」がある。 私が私という存在を認めること…、それはArtにとって欠かすことのできないものです。 だからこそCommunityはArtを求め始めているのかもしれない・・・。 そもそもなぜ、CommunityArtなる言葉が必要となるのでしょうか? 私はそれに対する答えとして、 「社会においてArtが独占されてしまっているから」だと考えています。 Artは全ての人々が享受できるものであって、特定の人物やCommunityが占有できるもので はありません。 しかしこれは、人類が長い歴史の中、数え切れないほどの命と引き換えに、つい最近になってようやく得ることができた貴重な財産でるあることを私たちは忘れがちです。 Artの背景には、膨大な遺伝子の蓄積があるのです。 時の権力者は常に人々のArt性を独占しようとしてきた…、言いかえれば、Artは権力によって常に管理されていたということであり、これを独占する者こそが権力を手中にできたということなのかもしれません。 そのArtが、今まさに、独占されつつある…。 CommunityArtという言葉が生まれる背景には、一部によるArtの独占に対する強い危惧 感があるのかもしれません。 少々きな臭い表現ではありますが、CommunityArtの成立にとって「権力」はとても大きな関係があることは確かなことだと思います。 その現われが、いわゆるアーティストではない人々・・・ (…既存の表現者では無い人々、それは=様々なCommunityの住人)が、CommunityArt という言葉を用い始めたということ。 Artは独占されるものでは無いはず、Communityそのものが抱える危機感を脱するために 、Artに可能性を見出そうとしているのではないだろうか? その結果がCommunityArtの出現なのだと思います。 事実、CommunityArtはそれを社会において実現する為に、デザインも、建築も選択しているし、方法としての選択はそれがスポーツでもあっても、科学で有ってもそれは可能なはずなのです。 ダンスや舞踏などの身体表現芸術もスポーツも、「身体」との関係性に於いては限りなく近いところにありながら、スポーツはスポーツであってArtとは捉えられていない。 スポーツ選手がCommunityArtというチャレンジに自分たちが関われるとは思っていない…。 結果として、CommunityArtに必要な人材は常に不足するといった状態になるのは当然の ことだと思います。 ここに必要なのは、どんなCommunityArtか?という内容では無く、「大丈夫…、一緒にやろうよ!」というきっかけづくりだと思います。 ここに於いては、CommunityArtであるかどうかはまったくどうでも良いことだと思います。 今さら言うことではありませんが、やはり『人を育てること』こそが重要。 もちろんそれは、CommunityArtにとってだけではありません。 「人を育てる環境」をないがしろにして、形だけのCommunityの確立だけを急げば、必ずやお金は足りなくなり、結果、「Communityはお金を浪費するもの」になってしまいます。 ある意味、こうしてCommunityは次第に希薄になってきたのだし、それを何とかする為に CommunityはArtを選択しようとしているのであれば、やはり、「Artとは?」そしてCommunityにとって必要なArtを見出す必要性が益々重要になってくると思います。 社会がどう変化しようとも、学校が「人を育てる場」であることは確かです。 しかし、グローバルという波は学校に押しよせ、学生たちをその波から守る防波堤は既に崩壊しつつあるといった状況です。 学校が社会と繋がるきっかけをつくることは非常に大切なことですが、あくまでもそこが「人を育てる場」である以上、決して波にさらわれないように絶対に守ってやる…という覚悟の上に、社会との間に橋を架けるべきなのではないかと私は思っています。 そんな学校が日本には今どれだけあるのでしょうか? 自分がこれから何をしようとしているのか定かではありません。 しかし、「人が育つ為に必要な場づくりがしたい」それだけは間違いないと思っています。 #
by riki-tribal
| 2009-01-12 00:07
| Artあれこれ
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